2026年3月のネット法話「受け継ぎ伝える」
- 副住職

- 2 日前
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新緑の季節、五月となりました。
旧暦で皐月といいますが、それは田植えの始まりを意味していると伝わります。
稲作の始まりは、日本人にとってとても重要な季節であることを物語っています。
現代では入社、入学など様々な変化があり、少し落ち着きを見せる、そんな時期でしょうか。皆さんにも経験のあることだと思います。
そのように人々の営みというのは、今日初めてのことではなく、慣習化されて、引き継がれていくものの方が多くございます。
先日、前島密翁の墓前祭がありました。およそ百五十名の方が浄楽寺にお集まりになり、郵便局長、局長OBの方々、そして地域の皆さまがお越しくださいました。
本堂前で式典を行い、墓前にてご供養をいたしました。
これは単なる行事ではなく、「報恩」の思いがあればこその場であります。
近代文明の立役者ともいわれる前島密翁は多くの事業を行い、
今の生活に直結する社会インフラを作りました。
今ある仕組みや仕事、そしてその志を受け継ぐ者として、
その功績に感謝をし、また、自身は自身の役割を全うすることができているのかと省み、
明日へつなげていく。
年に一回のこの墓前祭は、交流と継承と感謝の場であったと思います。
このように、先人の志を受け継ぎ、形を変えながらも伝え続けていくということは、 私たちの暮らしのあちこちに息づいています。 いま行われている三浦三十三観音霊場の本開帳も、まさにそのひとつであります。 御開帳の発端は辻井善也先生の論によれば江戸時代であろうとも伝わっています。 永く伝わってきた習わしです。 時代は変わり、巡行の形態も変わりつつ、 それでもその形を残して今に至っております。 いつの時代も、願い祈ることは変わりません。 では、なぜ祈りは絶えることがないのでしょうか。
法然上人の御法語に
「万年に三宝滅して、此の経、とどまること百年、その時、聞きて一念すれば、皆まさに仏に生ずることを得べし」
という一節があります。
法然上人の師である善導大師はこの「三宝滅尽の後」について、
未来一万年の後に仏像も僧もなくなり、経典さえも失われていく時代が来るとしても、
最後に残るものがある、それは「南無阿弥陀仏」の名号の一声であると説かれました。
なぜならば、人が生きる限り、苦しみは尽きることがないからであります。
仏教が伝わって二千五百年。
今お経典を拝読してみても、今の時代の人と悩みは変わらないと感じます。
お釈迦様が説かれた生老病死に始まる四苦八苦は、共に生きる人間である以上、
誰もが感じるものであります。
だからこそ、その苦しみに応える教えもまた、
残り続けるのです。
開祖その人がいなくとも、人が求める限り、
その道はあり続けます。
そして、救いの言葉であり修行である南無阿弥陀仏のお念仏は、
時代が変わっても、何もかもが変わっても、人々の心に残り、
極楽浄土を求める道として受け継がれてまいりました。
このお念仏を、私たちは絶やしてはなりません。
過去から受け継がれてきたものに耳を澄ませること。
そしてそれを、未来へと手渡していくこと。
まずは、いまこの教えに触れていることに感謝し、
その実践に努めていくこと。
それが、私たちにできることの一つであります。
南無阿弥陀仏