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浄土宗開宗850年を迎えて「法然上人一代記」⑥「往生要集との出会い」

執筆者の写真: 副住職副住職



2024年、法然上人が43歳で浄土宗を開宗されてから850年の月日が経とうとしています。


現在、全国では浄土宗開宗850年を記念して様々な事業が行われています。


昨年、浄楽寺におきましても、 増上寺布教師会の神奈川メンバーにて、 記念対談・記念念仏などが行われました。


800年以上もお念仏が縁としてつながり、 現代のわれわれの元にも教えとして伝わっているとは、本当に有難いことです。


法然上人がお念仏のみ教えに導いて下さらなければ、 来世での極楽往生は叶わず、輪廻を繰り返すばかりでした。


この850年のありがたさを皆さんにも感じていただくために、 法然上人の一代記を連載でお送りしたいと思います。



「往生要集との出会い」


法然が浄土教及び念仏と遭遇したのは源信が著した『往生要集』によってのことです。


十世紀半ばに生まれた源信は恵心僧都とも呼ばれ、 比叡山に学んで学才を発揮するものの、 栄達を捨て隠棲して道を求め続けた僧でした。


その源信が著した『往生要集』は極楽浄土への往生を勧め、 その唯一の方法が念仏であると説いた書物でした。


凄惨な地獄の風景と極楽の至福の姿を対比させて描いた序分から、 本論では極楽往生を遂げるための唯一の方法として念仏の実践を説いています。


実は、私たちが思い浮かべる念仏というのは、 天台宗においてはじめられた行です。


智顗という中国の僧が九十日間にわたり、 歩行しながら阿弥陀仏の名をとなえる一方、 心には常に阿弥陀仏を想う「常行三昧」という修行を定めました。


日本でも円仁という僧が比叡山に常行三昧堂を建て 同様の行を行い悟りの境地を目指しました。


そんな悟りを得るための実践であった念仏を、 極楽浄土へ往生するための方法へと変化させたのが源信の『往生要集』でした。


一般に念仏といっても二通りあります。


『往生要集』では、阿弥陀仏や極楽浄土を、 心を静めて思い浮かべる観念(観想念仏)と 仏の名を声に出してとなえる称念(称名念仏)とが説かれます。


難しい行が高い功徳を得るという価値観から阿弥陀仏、極楽浄土の美しさを 思い浮かべる観念は声に出すだけの簡単な称念よりも重きにおかれました。


しかし源信は、難しい観念に耐えられない人は口で一心に 念仏をとなえる称念をすべきだと説きました。


すなわち、称念は観念に劣る行として位置づけられていました。


しかしこのとき、『往生要集』を繰り返し読んだ法然は、 源信が厳しい修行に耐えられないものを対象にして念仏を説いていることに加え、 「極楽浄土に生まれるための行いは、念仏を本とする」と断言していることから、 源信の真意は観念ではなく、 阿弥陀仏の名をひたすらにとなえる称念にあるという結論に至ったのです。



続く


続く



#法然上人 #浄土宗開宗850年

#法然上人一代記

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