2024年、法然上人が43歳で浄土宗を開宗されてから850年の月日が経とうとしています。
昨年、全国では浄土宗開宗850年を記念して様々な事業が行われました。
おととし、浄楽寺におきましても、 増上寺布教師会の神奈川メンバーにて、 記念対談・記念念仏などが行われました。
800年以上もお念仏が縁としてつながり、 現代のわれわれの元にも教えとして伝わっているとは、本当に有難いことです。
法然上人がお念仏のみ教えに導いて下さらなければ、 来世での極楽往生は叶わず、輪廻を繰り返すばかりでした。
この850年のありがたさを皆さんにも感じていただくために、 法然上人の一代記を連載でお送りしたいと思います。
「十七、法然の極楽往生」
後鳥羽上皇が不吉な夢を見たのが契機となり、
流罪から一年足らずの一二〇七年十二月、法然に恩赦が下されました。
ただし洛中への出入りは禁じられ浄土教ゆかりの摂津国勝尾寺に入りました。
一二一一年十一月十七日にはついに帰洛を認める宣旨が下されました。
二〇日、五年ぶりに入洛した法然は、
兼実の弟慈円の厚意により東山大谷の禅房に居を構えます。
法然の帰洛を多くの人が喜びをもって出迎え、
その夜から参詣の人が長く続いて絶えなかったと伝わります。
正月を迎えて八十歳となった法然は床に就くようになりました。
それでも起きているときは高声の念仏を続け、
夜になって眠っているときにも口や動いており、枕元に居並ぶ門弟たちを驚かせました。
十一日。法然は弟子たちに阿弥陀仏が迎えに来ていることを告げます。
二十三日、法然は重態に陥ります。
十八年使えてきた源智が、
形見にしたいので念仏の肝要について一筆書いてほしいと要請します。
法然は一枚の紙に、
「私の説く念仏は極楽往生に疑いなく生まれることを信じてとなえるものだ。(略)念仏を信じる人はたとえ経典の教えを十分に学んでいたとしても、文字の一つもわからない身であると思い、智者のようにふるまわずただひたすらに念仏を称えるべき」
と生涯の主張を簡明に言い尽くし、日付と署名花押を添え、
朱印を押した「一枚起請文(いちまいきしょうもん)」を書いて渡しました。
そして二十五日の正午、頭を北に、顔を西に向けた観無量寿経』の
「光明徧照(こうみょうへんじょう)」の経文の一節と念仏をとなえつつ、
往生の素懐を遂げました。
こうして法然は専修念仏にささげた八十年の生涯を終えました。
鎌倉新時代、貴族のための仏教が法然の尽力により一般層にも伝わり、
多くのものが念仏をとなえ極楽往生を願うようになりました。
その教えは今日まで脈々と伝わり、みなさんとのご縁と相成りました。
大変にありがたいことです。
南無阿弥陀仏
一代記終わり
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