「謹賀新年」
みなさまあけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年のお正月は、能登半島大震災、飛行機事故、大火災など各地で大きな災害・事故が起こり悲しい出来事で幕開けしました。
その復興もままならず、今もまだ大変な状況にある方が多くいらっしゃいます。
しかし、人はたくましく強いもので、多くの方が手を取り障害を乗り越え、
挑戦へと道を進めています。遠方でも忘れずにできる形で支援をしていきたいものです。
二〇二五年の干支は乙巳(きのとみ)です。
乙巳は「再生や変化を繰り返しながら柔軟に発展していく」年になると言われています。
何やらいい一年になることを期待してしまいます。
この世は諸行無常であると説かれたのはお釈迦様です。
「常であるものがない」ということは、変化の連続であり、
同じように形をとどめておくものはないということです。
我々人も同様です。
物理的に言えば細胞分裂を繰り返し日々に変化と再生を繰り返し、
年齢を重ね、姿かたちも変化しています。
精神的には、日々考え方は変わり、好き嫌いも変わり、
自分にとって大切だと思うものさえ変わります。
そのように考えると、
昨日の自分と今日の自分が同じ存在であることを証明するのは難しいことです。
ある意味、日々に生まれ変わりを繰り返している存在であるといっても
過言ではありません。
諸行無常の世の中で、柔軟に発展していくにはその変化を見つめ、
認め、受け入れることが大切です。
変化に翻弄され、過去に執着していては、自らの前進はありません。
今日という一日が一生であると心得、明日を信じて生きていく。
どんな今日で終えたいのか、どんな明日を迎えたいのか、そこに人の志が宿る気がいたします。
昨年は浄土宗開宗八五〇年ということで、各地で様々な催しが行われました。
法然上人のみ教えが、
念仏が今の時代まで継承されてきたことに大きなありがたみを感じています。
人は生まれ、やがて散る。生涯をどう生き、来世はどこへ向かうのか。
鎌倉新仏教と呼ばれる浄土宗は法然上人が万人救済の道と志し、
阿弥陀仏のみ教えを伝えたことにはじまります。
識字率の低い当時、学のないものに救いはありませんでした。
ただし、南無阿弥陀仏のお念仏は誰でもとなえられる。
だから誰でも救われる教えなのだと伝えます。
日本中が来世、極楽に参られるようにと口に南無阿弥陀仏ととなえたのです。
これにより、法然上人個人は何か得することがあったのでしょうか。
そうではありません。まさに菩薩道です。
他を救うことを厭わず教えを説かれました。ここに大義があるのです。
ありがたいことです。
誰にでも何かしらの大事な役割があります。
その尊さはだれかの物差しで測れるものではありません。
諸行無常の世の中で、柔軟に、
志をもって周りのみなと共に発展していけるようお互いに精進してまいりましょう。
南無阿弥陀仏