2025年6月のネット法話「尊敬できる存在を持つということ」
- 副住職
- 7月4日
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梅雨入りが近づき、雨の日が続く季節となりました。ふきやわらび、そしてもうすぐ蛍も見頃を迎えるでしょう。たけのこは名残惜しく終わりを告げ、季節は静かに夏へと向かっています。さて、皆さんには「推し」と呼べる人はいますか?近年は「推し活」という言葉も一般的になりました。推しとは、自分が心から応援したい、尊敬する存在のこと。芸能人やスポーツ選手、作家や経営者など、有名な人物を挙げる方もいれば、ご家族や恩師といった身近な方を思い浮かべる方もいるでしょう。仏教では、「他尊(たそん)」という心のあり方があります。他人を尊び、敬うということ。これは人間だけが持つ特別な感情とも言われます。他者の中に尊いものを見出し、それを仰ぎ見る心は、私たちを高め、導いてくれる力になります。
法然上人の御法語に「静かに以(おもんみ)れば、善導の観経の疏は、これ西方の指南、行者の目足なり。然ればすなわち、西方の行人、必ず須(すべか)らく珍行すべし」というものがあります。これは法然上人が、善導大師の『観経疏』を讃えられた言葉です。善導大師(613–681)は、中国・唐代の僧であり、観無量寿経の注釈書『観経疏』を著し、阿弥陀仏の救いを万人に開いた偉大な祖師です。法然上人は、この書の一文に出会い、迷いを捨て、念仏の道に帰依されました。中国でも「善導和尚は弥陀の化身なり」と称されるほど、その言葉と行いが一致し、多くの人を導いた善導大師。法然上人は著作だけでなく、その人格・生き様そのものに深い敬意を抱かれ、「私の推し」として一生涯を通じてその徳を讃えられました。法然上人が観経疏に、出会っていなければ浄土の教えは伝えられることなく、極楽浄土に往き生まれることは説かれませんでした。それほどに人との出会い、特に尊敬する人に出会うことはその人の一生に大きな影響を与えるものです。
尊敬する存在を持つことは、自分の未熟さを自覚することでもあります。至らぬ自分を見つめながら、だからこそ高みを目指す。その営みこそが、反省の宗教、仏道の歩みなのです。
推しがいる人生は、豊かです。遠くの聖者でも、近くの誰かでも構いません。その人の生き方や言葉が、自分の人生の支えとなっている。そんな「推しの人」を、どうか心に灯していただければと思います。
6月になり今年ももう半分が過ぎました。年始にたてた目標は達成できているでしょうか。今気づけば、この半年を振り返り、自らを省みることで軌道修正することができます。他人に左右されすぎるのもよくありませんが、自分を見つめるために他人を敬うのは大切なことです。できていないことは認め、努力してきた自分を褒め、あと半年精進してまいりましょう。
合掌
南無阿弥陀仏