top of page
執筆者の写真副住職

11月のネット法話「満足するためには」

十夜法要を終え、すぐにやってくるのが年末です。


今年もあと二ヶ月で終わります。


一年を振り返ってみて満ち足りた一年だったと胸を張って言えるでしょうか。


一日の積み重ねが一年であり一生です。


一日に満足し、一年に満足し続けることで一生を満足して終えられるのでしょう。


ちょうどよい加減に求めているものが手に入ると 心から満足できるわけですが現実には求めているものがすべて手に入ることなどありません。


特に「得ること」を基準として考えた場合、

「自分が持っていないもの」を数えがちです。


求めているものの一部を得られたとしても、

「持っていないもの」はなくなることがないので満足できるのは一時で際限なく求める心が生じます。


これではきりがありませんし、

満足の継続はありません。


さらに得られないことで受ける苦しみから逃れることもできません。


では「与えること」を基準とした場合はどうでしょう。


与えることを基準に考えると「自分が持っているもの」を数えます。


与えられるものには限界がありますが、時間、能力を含めると 工夫すれば多くの人に分け与えることができます。


与えた分だけ感謝をいただき、感動や体験、 そして自信を得ることができるかもしれません。


欲しい欲しいではなく、自分には何ができるのか、 何を与えることができるのかと考えると、社会の中の自分が見えてきます。


そうすると考えていた以上にいただいていることに気づき、 社会の中で支えられてくる自分が見えてきます。


得ることよりも与えることで得られる満足にこそ幸せが宿るものです。


これは仏教でいうところの布施行ということになります。


阿弥陀仏はすべての人を救うためにと修行を進め、悟りを得、極楽を作り、 念仏行を与えてくれます。


そこには阿弥陀仏自身が欲しいものはありません。


救いを与えることが本願で阿弥陀仏にとっては求められることが幸せなのです。


我々人が阿弥陀仏に与えられるものは信仰です。

信じ、願い、極楽に向かうようその名を称えることが阿弥陀仏への恩返しになるのです。

ありがたいことです。


当然仏さまのようにはいきませんが、

仏さまのように生きることが幸せの道につながることをお釈迦様は説かれています。


残りあと二か月、一年を満足したといえるように自分にできることを考えてみましょう。


きっと欲しい欲しいの自分より、

あげるあげるの自分にこそ本当の満足があるのだと思います。


南無阿弥陀仏

閲覧数:23回

最新記事

すべて表示
bottom of page