2024年、法然上人が43歳で浄土宗を開宗されてから850年の月日が経とうとしています。
現在、全国では浄土宗開宗850年を記念して様々な事業が行われています。
昨年、浄楽寺におきましても、 増上寺布教師会の神奈川メンバーにて、 記念対談・記念念仏などが行われました。
800年以上もお念仏が縁としてつながり、 現代のわれわれの元にも教えとして伝わっているとは、本当に有難いことです。
法然上人がお念仏のみ教えに導いて下さらなければ、 来世での極楽往生は叶わず、輪廻を繰り返すばかりでした。
この850年のありがたさを皆さんにも感じていただくために、 法然上人の一代記を連載でお送りしたいと思います。
「⑬法然教団の拡大」
法然の専修念仏の教えは、 僧俗を問わず細々と信仰を育んでいた浄土教者たちを巻き込み拡大をはじめ、 教団が形成されていきます。
比叡山を下りた法然は、西山広谷、東山、嵯峨などに居を移しました。
自身で建てた庵室は建て替えや修復を繰り返していましたが、 飢饉が起きても法然自身が食に事欠くほど困窮した形跡はありません。
有力な庇護者がいたのでしょう。
母方の血縁にあたる秦氏は粟生野一帯、 嵯峨近辺に平安京成立以前から居住していましたし、 父方の漆間氏はその一族が上洛していたことが推測され、 そういった血縁が法然の庇護者として支えていたことが考えられます。
大原談義ののち、法然には有力門弟、公家・武家の有力者の帰依が増加します。
九条兼実夫妻も法然を支えた代表的存在です。
さらに時代が変わり、政権を握った武士にも専修念仏は受け入れられていきます。
ひたすら念仏をとなえることでだれでも極楽に往生できると説いた教えは、 所領を与えてくれる主君にすべてを捧げる武士の生き方に通じ、 殺生をしても救われるという教えは、 戦いの世界に身を投じ殺生を繰り返せざるを得ない武士の願いに即していました。
鎌倉の御家人たちにも念仏の教えは浸透し、 信仰者は増加していきます。
早くに法然に帰依した熊谷次郎直実や津戸野三郎為守の布教が あってのことだと法然は感謝を伝えています。
さらにこのころ、法然の最期を看取った源智や二祖聖光が弟子入りしています。
こうして法然の帰依者は増え、 信仰の裾野は広がっていきます。
法然没後一周忌を期して行われた阿弥陀如来像造像には 四万六千人が喜捨に応じ署名していることはその広がりを物語っています。
続く
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