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執筆者の写真副住職

浄土宗開宗850年を迎えて「法然上人一代記」⑫選択本願念仏集




2024年、法然上人が43歳で浄土宗を開宗されてから850年の月日が経とうとしています。


現在、全国では浄土宗開宗850年を記念して様々な事業が行われています。


昨年、浄楽寺におきましても、 増上寺布教師会の神奈川メンバーにて、 記念対談・記念念仏などが行われました。


800年以上もお念仏が縁としてつながり、 現代のわれわれの元にも教えとして伝わっているとは、本当に有難いことです。


法然上人がお念仏のみ教えに導いて下さらなければ、 来世での極楽往生は叶わず、輪廻を繰り返すばかりでした。


この850年のありがたさを皆さんにも感じていただくために、 法然上人の一代記を連載でお送りしたいと思います。


「12、選択本願念仏集」                                  

法然のもとには身分を問わず帰依する人が増えていきました。


その中の公家の代表格が九条兼実です。


兼実は摂政関白藤原忠通の息子で、 摂政、関白、太政大臣をつとめた朝廷の実力者でした。


兼実が初めて法然を招いたのは一一八九年八月、 兼実四十一歳、法然五十七歳のときでした。


それを機に何度も法然を屋敷に招いて教えを受けましたが、 兼実は当初、専修念仏に帰依したわけではなく、 受戒による病気平癒や邪鬼払いの効験に期待したのでした。


しかし、受戒後、次第に専修念仏に傾倒していった兼実は、 六十六歳の法然が重い病にかかって一命をとりとめたことを契機に 法然に浄土の法門をまとめてほしいと要請します。


念仏の教えをわかりやすく解き明かした教義書が欲しいというのは 信者の共通した思いです。


兼実の要請を受けて法然はさっそく弟子を動員して撰述に取り掛かりました。


その草稿執筆にあたり、全文を法然が記したわけではなく、 『選択本願念仏集』という題と、「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為先」の

計二十一文字のみが法然の自筆で、残りは法然の口述を弟子が筆記したものになります。


ここで法然が書名にした「選択本願念仏」とは、 すべての人々を救おうとされる阿弥陀仏が、念仏以外の行を選び捨て、 ただひたすらに念仏せよと私たちに選び示されていると、 本願念仏の真義を解き明かしたものです。


こうして一一九八年に完成したのが『選択本願念仏集』です。


この書の末尾には「仏法をそしる人が悪道に堕ちるように、 念仏を批判した人も悪道に堕ちる。


そのようなことのないよう、ご覧になった後は壁の中に埋め、 人目につかないようにしてほしい」という慎重な一文で締めくくられています。


この言葉が物語るかのようにこの書は弟子たちの中でも 信頼できるものだけに書写を許可されることから広まっていったのです。


言うまでもなく、この『選択本願念仏集』は浄土宗第一の聖典となり、 その草稿本は京都の廬山寺に所蔵されています。


 なお、この著述の契機をつくった兼実は一二〇二年、 法然を戒師として出家し円証と称しました。こうして兼実自身も専修念仏者となったのです。


続く


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#法然上人一代記

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