3月のネット法話「明日へと続く生」

更新日:8月12日



お彼岸という言葉に季節の事を連想される方が多いでしょうが、 これは場所を指す言葉です。


此岸(しがん)をこの世とし、 三途の川を隔てた彼岸は極楽浄土と示します。


この時期、日本では真西に太陽が沈むことから、 西にある極楽浄土を目指す修行の期間として定められています。


しかし、そもそもなぜ極楽浄土を目指すべきだと説かれるのでしょうか。


 お釈迦さまは生老病死の苦しみから離れるために出家し、 修行の末にお悟りを開かれました。


そして、苦悩無く豊かに生きるための教えを、 それぞれの人に合わせた言葉で伝えてきました。


その教えは「あらゆる生物は生まれ変わる」という輪廻思想を元に説かれます。


輪廻する世界は六つの世界とされ、 輪廻するのは来世のことととれますが、 観点を変えると今を生きる人々の心にも同様の世界があります。


地獄という非情な鬼がのさばる心、 餓鬼という欲張りがやまない心、 畜生という理性を離れた心、 修羅という争いを求める心、 欲のままに生きる人間の心、 天という長寿で堕落した心。


この六つの道をぐるぐる回り、 苦悩から逃れられない一生を輪廻の世界と例え、 輪廻から離れることを仏教の目的とします。


この輪廻を離れる道こそが、極楽浄土に往生するということです。


 浄土宗では念仏を称えると、その罪多き身のままで、 阿弥陀仏が極楽浄土に導いてくださると説きます。


さらに法然上人は 「念仏は一遍でもお称えすれば、阿弥陀仏が救ってくださる。 だからといって『悪事をとどめる心を持たず、慈悲の心を持たず、 自分のためだけに生きることも許されるでしょう』などという心は仏教の掟とは 違います。」


つまり、「極楽浄土を目指すことは一番大切なことですが、 欲にとらわれる六道のような生き方はしてはいけませんよ。」 と説かれます。


明日にも、来世にもこの生が続くと思うからこそ、 悪事をとどめ共に生きる人々を慈しむ。


そうして六道の心から離れることで、 豊かな日常を得ることができる。


さらに来世では、先立たれた皆様がいる極楽浄土へと向かう。


それが日々を大切にする心構えであり、 この此岸(今日)において、彼岸(明日)を志すお姿です。


「お彼岸に 心改め南無阿弥陀仏 今日の幸せ 明日に届ける」


南無阿弥陀仏

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