お彼岸という言葉に季節の事を連想される方が多いでしょうが、 これは場所を指す言葉です。
此岸(しがん)をこの世とし、 三途の川を隔てた彼岸は極楽浄土と示します。
この時期、日本では真西に太陽が沈むことから、 西にある極楽浄土を目指す修行の期間として定められています。
しかし、そもそもなぜ極楽浄土を目指すべきだと説かれるのでしょうか。
お釈迦さまは生老病死の苦しみから離れるために出家し、 修行の末にお悟りを開かれました。
そして、苦悩無く豊かに生きるための教えを、 それぞれの人に合わせた言葉で伝えてきました。
その教えは「あらゆる生物は生まれ変わる」という輪廻思想を元に説かれます。
輪廻する世界は六つの世界とされ、 輪廻するのは来世のことととれますが、 観点を変えると今を生きる人々の心にも同様の世界があります。
地獄という非情な鬼がのさばる心、 餓鬼という欲張りがやまない心、 畜生という理性を離れた心、 修羅という争いを求める心、 欲のままに生きる人間の心、 天という長寿で堕落した心。
この六つの道をぐるぐる回り、 苦悩から逃れられない一生を輪廻の世界と例え、 輪廻から離れることを仏教の目的とします。
この輪廻を離れる道こそが、極楽浄土に往生するということです。
浄土宗では念仏を称えると、その罪多き身のままで、 阿弥陀仏が極楽浄土に導いてくださると説きます。
さらに法然上人は 「念仏は一遍でもお称えすれば、阿弥陀仏が救ってくださる。 だからといって『悪事をとどめる心を持たず、慈悲の心を持たず、 自分のためだけに生きることも許されるでしょう』などという心は仏教の掟とは 違います。」
つまり、「極楽浄土を目指すことは一番大切なことですが、 欲にとらわれる六道のような生き方はしてはいけませんよ。」 と説かれます。
明日にも、来世にもこの生が続くと思うからこそ、 悪事をとどめ共に生きる人々を慈しむ。
そうして六道の心から離れることで、 豊かな日常を得ることができる。
さらに来世では、先立たれた皆様がいる極楽浄土へと向かう。
それが日々を大切にする心構えであり、 この此岸(今日)において、彼岸(明日)を志すお姿です。
「お彼岸に 心改め南無阿弥陀仏 今日の幸せ 明日に届ける」
南無阿弥陀仏
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