7月のネット法話「現代版かさ地蔵ニュースを見て」
- 副住職

- 2020年7月12日
- 読了時間: 2分

先日、ある記事に目が留まりました。
お弁当をただで配っていたお店があるというのです。
墨田区にある中華料理の店長の李さんは四月十四日から六月二日までコロナ禍で働けない人や困っている人に一日五〇〇食のお弁当をただで配っていました。
たくさんの方がお弁当に救われていたそうです。
「ありがとう」「頑張ってください」李さんのもとには感謝の言葉と共にたくさんの贈り物が届いたそうです。
しかし、「毎日のように野菜を店の前に置いてくれた八百屋さんには、一度も会うことができませんでした。お弁当を配った最後の日に、私は八百屋さんを私の店でずっと待っていましたが、八百屋さんは来ませんでした。でも一回だけその後姿を見たことがあります。追いかけましたが見失ってしまいました。」
まるで本当のかさ地蔵のお話のようです。
心が温まりました。
世の中にはつらいことがたくさんあります。
それは例外なく私たちに降りかかります。
でも、自分に降りかかる嫌なことばかりに目を向けていると、いつしか心は嫌な気持ちに支配されてしまいます。
そうすると心はどんどん疲れてしまいます。
餓鬼のように「自分だけが得するように」と強い欲ばかりが働くと、その様子は周りの人に気付かれます。
誰もそんな人を「助けてあげたい」とは思いません。
いつしか誰も寄り付かなくなります。
でも、いつも気を配ってくれて、やさしくしてくれて、自分を大切に思ってくれる人には「何かできることはないか」と人が集まることでしょう。
仏教には「利他」という教えがあります。
それは他人に利益を与える心です。
他人に利益(りやく)を与えることがいつしか自分のためになるのです。
皆平等につらいことがあります。
でも、苦しみの連鎖は慈しみの心で断ち切ることができます。
口から愚痴が出る前に一歩踏みとどまって今何を言うべきか、何をするべきか、考えていきたいところです。
あなたの利他の心にかさ地蔵が立ち寄るかもしれません。
南無阿弥陀仏


