お祓いとご祈願の違いとは?お寺で願う意味と浄楽寺の「祈りのかたち」
「厄年なので、お祓いをしてほしい」 「家内安全をお願いしたい」 「仕事がうまくいくように祈りたい」 「大切なことを控えているので、仏さまに願いを届けたい」
お寺には、度々こうしたご相談が寄せられます。
その一方で、
「お祓いは神社でするものでは?」
「お寺では、ご祈願とご祈祷のどちら?」
「お寺で開運をお願いしてもいいの?」
と疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。
そこで今回は、「お祓い」「ご祈願」「ご祈祷」の違いから、
お寺で願うことの意味、そして横須賀・浄楽寺でご祈願する意味についてお話しします。
「お祓い」と「ご祈願」は何が違う?
一般的に「お祓い」という言葉は、神道で用いられることが多く、災いや穢れなどを祓い、身や場所を清めることを意味します。
一方、「ご祈願」は、家内安全、身体健全、厄災消除、商売繁盛、合格、良縁、心願成就など、自分や大切な人の願いを神仏に託し、その成就を願うことです。
簡単に表せば、
お祓い=災いや穢れを祓い、清めること
ご祈願=願いを神仏に届け、祈ること
と考えると分かりやすいでしょう。
ただし、実際の信仰はこれほど単純に分かれているわけではありません。
お寺にも、水を用いて人や場所を清める「洒水」などの作法がありますし、災いを除き、平穏を願う祈りも古くから行われてきました。
そのため、「家のお祓いをしてほしい」「厄払いをしたい」というご相談をお寺にいただいた場合にも、そのお気持ちを伺い、仏教の作法によってお清めやご祈願を行うことがあります。
「ご祈願」と「ご祈祷」は違う?
この二つもよく似た言葉です。
「ご祈願」は、何を願うのかという「願い」に重点を置いた言葉です。
「ご祈祷」は、その願いを受けて僧侶などが読経や作法を行う、祈りの儀礼そのものを指すことが多い言葉です。
つまり、
「家族が健康でありますように」と願うことが「ご祈願」であり、
その願いを受けて僧侶が仏前でお勤めをすることが「ご祈祷」
と考えることもできます。
浄楽寺では、何よりもまず、
お参りされる方がどのような願いを持って仏さまの前に立つのかを大切にしたいと考え、
主に「ご祈願」という言葉を用いています。
お寺は、願い事をしてよい場所なのでしょうか
もちろんです。
お寺というと、葬儀や法事、お墓参りなど、「亡くなった方のために訪れる場所」という印象を持っている方も多いかもしれません。
しかし、お寺はそれだけの場所ではありません。
苦しいとき。人生の節目を迎えたとき。何かに挑戦するとき。大切な人の幸せを願うとき。自分一人では抱えきれない思いを持ったとき。
人は昔から、仏さまの前に座り、手を合わせ、自分の願いと向き合ってきました。
願うということは、単に「欲しいものを仏さまにもらう」ことではありません。
自分が何を大切にしているのかを確かめ、これからどう生きていくのかを仏さまの前で見つめること。
それもまた、ご祈願の大切な意味だと浄楽寺では考えています。
なぜ、浄楽寺で願うのか
ここからが、浄楽寺にとって最も大切なお話です。
浄楽寺には、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩、不動明王、毘沙門天という五体の仏さまがお祀りされています。
いずれも鎌倉時代を代表する仏師・運慶の作で、国の重要文化財に指定されています。
そして、この五体の仏さまが造られたのは文治5年、1189年。
像内から発見された銘札によって、鎌倉幕府の有力御家人・和田義盛と、その妻・小野氏が願主であったことが分かっています。
つまり、浄楽寺の運慶仏の歴史をたどっていくと、その始まりには「人の願い・祈り」があります。
今から800年以上前にも、私たちと同じように、家族を思い、未来を思い、自らの人生を思い、仏さまに願いを託した人たちがいました。
その願いが運慶という仏師によって仏像という姿となり、長い年月を経て、今もこの地に残っています。
800年前の願いを、現代の私たちが追体験する
これは、浄楽寺でご祈願する大きな意味の一つです。
和田義盛夫妻が願いを託した仏さまの前に、800年以上を経た現代の私たちが立ち、自分自身の願いを託す。
時代も、暮らしも、悩みも違います。
しかし、
家族が無事であってほしい。
大切な人を守りたい。
困難を乗り越えたい。
これからの人生が良い方向へ進んでほしい。
そう願う人の心そのものは、800年前とそれほど変わっていないのかもしれません。
だから浄楽寺で願うことは、単に歴史ある仏像に願い事をするということではありません。
800年以上にわたって受け継がれてきた「祈る」という営みの中に、自分自身も加わること。
それは、和田義盛夫妻が仏さまに願いを託した時代を追体験することでもあります。
厄除け不動明王と、開運毘沙門天
浄楽寺には、不動明王を「厄除不動明王」、毘沙門天を「開運毘沙門天」として伝わっております。
不動明王は、災いを防ぎ、煩悩や悪縁を断ち、正しい道へ導く仏として信仰されてきました。
また毘沙門天は、仏法を守護する四天王の一尊であり、福徳や勝運、開運などの信仰を集めてきた仏です。
浄楽寺でも「厄除不動明王」「開運毘沙門天」として御朱印を授与しています。
和田義盛夫妻が当時どのような言葉で一つひとつの願いを託したのか、そのすべてを今日の私たちが知ることはできません。
しかし、鎌倉時代という激動の時代を生きた人々が、阿弥陀如来、不動明王、毘沙門天という仏さまに思いを託し、その仏像が現代まで受け継がれていることは確かです。
そして今も、その仏さまの前で人々が手を合わせています。
800年以上前の祈りが、現在の祈りへとつながっている。
浄楽寺が大切にしたいのは、その「祈りの継承」です。
ご祈願は、願いを叶えてもらうためだけのものではありません
仏さまの前で手を合わせる。
そして、
「私は何を願っているのだろう」
と自分自身に問いかける。
家族の健康を願ったとき、家族の大切さに気づくかもしれません。
仕事の成功を願ったとき、自分が何のために仕事をしているのかを考えるかもしれません。
良縁を願ったとき、これまで自分を支えてくれた人とのご縁に気づくかもしれません。
厄除けを願ったとき、自分自身の暮らし方を見直すきっかけになるかもしれません。
願うことで、自分の心が見えてくる。
その気づきを持って、また日常へ戻っていく。
ご祈願には、そんな意味もあるのではないでしょうか。
運慶仏の前で願いを届ける「暗闇参り」
浄楽寺では、通常の運慶仏拝観に加えて、「暗闇参り」を行っています。
堂内を暗くし、限られた灯りの中で運慶仏と向き合い、読経と祈願のお勤めを行う特別な参拝です。現在、浄楽寺公式サイトでも「読経と祈願法要を伴う特別拝観」としてご案内しています。
明るい堂内で文化財として仏像を見ることとは、少し違います。
灯りを落としたお堂で静かに仏さまと向き合うと、不思議と意識が自分自身の内側へと向かっていきます。
800年以上前、電気のない時代。
和田義盛夫妻たちもまた、今とはまったく違う暗さの中で仏さまと向き合っていたことでしょう。
その環境に少しだけ近づきながら、
自分の願いを言葉にする。
仏さまに届ける。
そして静かに手を合わせる。
暗闇参りは、単なる文化財鑑賞ではなく、運慶仏が本来「祈る対象」であったことを体感していただく時間でもあります。
観る寺から、願いを届ける寺へ
浄楽寺には、国指定重要文化財である五体の運慶仏があります。
そのため、「運慶の仏像を見るお寺」として訪れてくださる方もたくさんいらっしゃいます。
それは大変ありがたいことです。
しかし仏像は、本来、美術品として造られたものではありません。
誰かが願い、祈るために造られた仏さまです。
だからこそ私たちは、
「運慶仏を見る」だけではなく、「運慶仏に願いを届ける」
というところまで体験していただきたいと考えています。
観光で訪れた方も。
人生の節目を迎えた方も。
大切な願いを抱えている方も。
檀家であるかどうかにかかわらず、仏さまの前で手を合わせることができます。
800年の祈りの、その先へ
1189年、和田義盛夫妻の願いによって造られた五体の運慶仏。
その仏さまは、戦乱も、災害も、時代の大きな変化も越えて、この場所で守られてきました。
そこには、数え切れないほど多くの人の祈りがあります。
仏さまを造った人。
守った人。
お堂を建て直した人。
手を合わせた人。
願いを託した人。
その一つひとつが積み重なって、今の浄楽寺があります。
そして今度は、私たちの番です。
800年以上前の願いに、自分の願いを重ねる。
いただいてきた運に気づき、自分もまた少しだけ良いものを次へ残す。
願い、祈り、運をひらく。
浄楽寺が、皆さまにとってそんな場所であり続けたいと思っています。
どうぞ、心に願いを持ってお参りください。
南無阿弥陀仏 ご祈願の申し込みはこちらから https://www.jorakuji-jodoshu.com/kurayami

