日本語は他国に比べても、ワードが非常に多い。
日本人として正しく本来の言葉の意味を理解して言葉を使いたいものだ。
そんな本日は「ないしょ」ということばの由来について。
仏教の秘密の悟り
「ないしょにしてね」この言葉には、 大人になるとなんだか後ろめたいことばかりが浮かんでくる。
誰にも言えないようなこととなると特にそういった イメージが強くなるのも無理はないだろう。
さて、「ないしょ」はいうまでもなく「秘密」の事だが、 もともとの仏教語ではもっと観念的で難しい言葉だった。
内緒の語源である、仏教の「自内証(じないしょう)」という言葉は、 自分の中に物事の真理をつかみ覚ることを表わした。
これらの悟りは、言葉で他人に伝えようとしてもできないものである。
「自内証」はじっと心の中にしまっておき、 人々を救うときに「外用(がいよう)」として具体的に解き明かすのだ。
また、仏教では「内証の眼」を持つことを勧めるが、 この場合の内証とは内々、つまり自分の内側を示す。
我々人には心の内側に煩悩の殻に囲まれた 仏性という仏の種が隠されていると考えられている。
自らの内側に仏になる道を探し、 見つけることこそが自内証とされるのであろう。
しかし、この時代において内に悟りの道を見つけるのは非常に難しい。
だれにでも内緒にしたいことの一つや二つあるものだ。
そんな我々にどう悟りが得られようものか。
南無阿弥陀仏の阿弥陀仏の他力がより有難く感じるものである。
合掌
#他力