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学ぶ!仏教の輪廻「冥土で生前の隅の裁判を受ける死者」


「冥土で生前の隅の裁判を受ける死者」


浄土に生まれ変わることができずに、冥土に移った死者は、

七回の裁判と三回の再審を合わせて計十回、十人の王によって裁かれるとされる。


まずは死出の山を越えて七日目。


第一法廷で秦広王が殺生の罪を裁く。


この後、判決によってすぐに地獄に落とされるわけではなく、

死者たちは次の法廷に向かって歩き続け、やがて三途の川にたどり着く。


善人は橋を渡り、罪人は川の中を渡る。


その対岸では老婆の奪衣婆が死者の衣服をはぎ取り、

それを受け取った老翁の懸衣翁が衣領樹の枝にかけて死者の生前の罪の重さを量る。


それに基づいて十四日目の第二法廷で初江王が懸衣翁からの報告に基づいて盗みの罪を裁く。


その後、七日ごとに二十日の第三法廷では宋帝王が邪淫の罪を、

二十八日目の第四法廷では五官王が嘘をついた罪を裁く。


そして三十五日目、閻魔王が担当する第五法廷では浄玻璃の鏡によってすべての罪が明らかにされ、四十二日目の第六法廷で変成王が五官王と閻魔王の報告に基づき再審を行う。


そして四十九日目、第七法廷で泰山王の最終判決が下されるのだ。


王は六つの鳥居を示し、どれかひとつ生まれ変わる道を選ぶように告げる。


この後も三回にわたって再審が行われ、百箇日に平等王、一周忌に都市王、

三回忌に五道転輪王が現れ、再び死者を裁く。


ただし、この十王信仰はインド発祥の閻魔王が中国の道教思想と集合して生まれたものだ。


わが国では、平安後期から観られ、最初の裁判官である初江王は不動明王、

閻魔王は地蔵菩薩というように、日本では王に諸仏・諸菩薩が配されるようになる。


この裁判は『往生要集』にはない。


『往生要集』では死に際して悪人は苦しみながらなくなる一方、

善人はそのように苦しむことはないという。


しかし、念仏を修めたものは目の前に迎えに現れた阿弥陀仏に従って、

極楽浄土に速やかに生まれ変わるのでこうした裁判や期間を経ることはない。




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