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執筆者の写真副住職

仏教からなることわざ「会うは別れの始め」の意味とは?




日本語は仏教用語に由来するものが多い。

その中でも教訓として作られることわざには仏教の教えが 多く用いられていることを知っているだろうか。

本日は「会うは別れの始め」ということわざの意味について。

人生は無常なり

人生に、常なるものはない。


すなわち「無常」である。


出会った人同士は、いつか別れる運命にある。


男と女、親と子、友と友、いずれも時が来れば別れなければならないのが定めなのだ。


たとえ、生き別れにならなくても、 死というものがやってくれば、いやでも別れることになる


『平家物語』の冒頭にある「生者必滅、会者定離」というのも、 この事と同じである。


『涅槃経』には、 「それ盛んなる、必ず衰えることあり。合会には別離あり」とある。


盛んなものでもいつかは衰えるように、 会うことが分かれることの始まりなのだ


同じく『平家物語』には 盛者必衰の理をあらはす」とあるが同じ意味である。


浄土宗の教えでは「倶会一処」が説かれる。


「この世の別れは一時の別れ、また極楽浄土での再会がある」 という意味だ。


縁は途切れることはない。


その身が滅びこの世から離れる場合の別れでも、 生き別れのご縁も実は複雑にも巧妙に常につながっている。


だから、出会った以上縁は紡がれている。


会うは別れの始め、別れは出会いの縁


悲観ばかりする必要はないのかもしれない。


ことわざを知ることは大切なことだとあらためて思い知った。


#縁は続くよどこまでも











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