日本語は仏教用語に由来するものが多い。
その中でも教訓として作られることわざには仏教の教えが 多く用いられていることを知っているだろうか。
本日は「一期一会」ということわざの意味について。
一度限りという覚悟
茶道の祖、千利休は 「常の茶の湯なりとも、路地へ入るより出るまで、 一期に一度の会のように亭主を敬畏すべし」 と説いた。
つまり、 いつもやっている茶の湯であっても、 茶室の通路へ入る時から出るまで、 そのことは一生に一度しかないといった気持で主人(客をもてなす側)を 敬うほどの覚悟でふるまうのが大事だというのである。
この考え方は、 禅の根本であるという。
それこそ「一行」なのである。
すなわち、ただ一つの修行に没頭して、 その修業自体に浸りきることが覚りを得る方法と考える禅の教えだ。
例えば坐禅もそうだ。
ひたすらに座り心身を研ぎ澄ます中で、 自と他を分け隔てなく考えることを目指す。
問答もそうだ。 ひたすらに教えについて問答することでその真意を目指す。
「一期一会」とは、一生に一度しか会えないこと、 何事も一度限り、ということではあるが、 そこに禅の思想が深く秘められているのである。
さらに、輪廻思想を説く仏教において、 縁とはまさに一期一会をである。
様々な出会いや別れの中に、 縁があり、晴れて仏縁をもってして輪廻を離れることができるようになる。
この一時、一時を大切にして「もう二度と来ない縁だ」 と思い真摯に向き合うことが、仏縁を真っ向から向き合う心意気なのである。
合掌
ことわざを知ることは大切なことだとあらためて思い知った。
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#縁は続くよどこまでも
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