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執筆者の写真副住職

三浦半島巡礼「龍玉」開催

三浦半島に位置する6つの神社仏閣(海南神社、福泉寺、西叶神社、浄楽寺、森戸大明神、長運寺)は、「三浦半島神仏巡礼 龍玉(りゅうたま)」を2024年(甲辰)1月1日(月)から開催します。



三浦半島に位置する6つの神社仏閣(海南神社、福泉寺、西叶神社、浄楽寺、森戸大明神、長運寺)は、「三浦半島神仏巡礼 龍玉(りゅうたま)」を2024年1月1日(月)から開催します。6つの神社仏閣を巡るとそれぞれで6つの龍玉を授かり、最後の寺社で7つ目の龍玉を授かることができます。三浦半島の形は、天から降りてきた龍の形をしており、いわば、三浦龍神半島です。また、古くから各所に龍の伝承が残っており、龍を祀り、その加護を祈ってきた歴史があります。2024年は辰年です。それぞれの寺社を巡りながら1年の平安を祈りましょう。


葉山・横須賀・三浦を巡る三浦半島の神社仏閣「龍玉」巡拝は、古くより神仏習合だった日本独自の文化が由来となっています。各寺社では「龍玉」という宝玉と房を授かることができ、最後の寺社でいただく満貫玉を合わせると完成します。2024年の大願成就を祈り、寺社を巡る中で、願いは研ぎ澄まされ、心も安らかになります。辰年のこの機会に各寺社を参拝し三浦半島をお楽しみください。


<3つの特長>

1:神仏習合、神社仏閣の参拝

古くより日本は神仏習合の文化の中でその歴史を紡いできました。現在は神仏分離の影響で、神社と寺院をめぐる参拝は少なくなってしまいました。「龍玉巡拝」は日本古来の姿で

寺社をお参りすることができます。


2:市町村を超えた三浦半島全体での巡拝

市町村を超えて三浦の海南神社、福泉寺、横須賀の西叶神社、浄楽寺、葉山の森戸大明神、長運寺と六つの寺社を巡拝し三浦半島全体を巡ることができます。この機会に三浦半島全体の魅力をお楽しみください。


3:7つの龍玉を集めて大願成就

各寺社にて6つの龍玉を授かり、最後の寺社で満貫玉をいただくことで7つの龍玉を集めることができます。それぞれに寺社で祀られる龍の加護をいただき、大願成就をお祈りください。


三浦半島、その起源は司馬遼太郎氏の『街道をゆく』の「三浦半島記」に、「『日本書紀』の持統天皇六(六九二)年五月、この御浦を管轄している相模の国の国司が大和の朝廷にやってきて、赤いカラスのひな二羽を献上した。(中略)このとき国司は力づよく踏み出して、『御浦郡に(その赤いカラスを)獲たり』と、たかだかととなえた。」とあります。御浦と記述のあるとおり、天皇から聖地として認められていたこの地は、鎌倉時代に入り、武家政治が行われるなか、日本で初めて様々な文化が民衆に伝えられる拠点となっていきました。また、源頼朝、三浦一族をはじめとする武家の神仏への篤い信仰が根付き、多くの神社仏閣が建立されました。三浦半島の神社仏閣はそういった武家や幕府とのつながりが多く残されています。


今回「龍玉」で巡拝できる寺社は全部で6か所。


三崎「海南神社」は三浦一族の総祈願所で、頼朝御手植えのご神木龍神大神や龍神社、「筌龍弁財天」(せんりゅうべんざいてん)をお参りいただけます。


同じく三浦市の初声、福泉寺では山号にも「龍」の名づけがあり、海と山に囲まれたその地で水難除け、五穀豊穣をお祈りいただけます。


横須賀は浦賀の西叶神社は文覚上人が源氏再興を発願した由緒がありますが、社殿には多くの龍彫刻、拝殿天井にも墨絵の龍が描かれています。源氏再興の大願成就が成されたことから願いが叶う叶神社とされ、龍神には火難の災いが起こらないようにとの祈りが込められています。


同じく横須賀市にございます芦名の浄楽寺には和田義盛発願の運慶作毘沙門天像が祀られていますが、本堂のお厨子には毘沙門天を護り海の波に逆らって飛ぶ龍が描かれています。この龍は富や繁栄を象徴する存在とされ、逆境を乗り越えて繁栄をもたらす力を表しています。浄楽寺の開運毘沙門天、龍神をお参りして各々のご利益をご祈願するとともに、逆境に勝つ力を備えてまいりましょう。


葉山は森戸、森戸大明神には沖合い約700メートルの名島に龍神宮が鎮座し、龍神様(大綿津見大神)がお祀りされています。水に関わる方々からの信仰が篤く、多くの恵みをもたらし、良い運命へと導いてくださる昇運の神様として親しまれております。


同じく葉山は長柄、長運寺は勇猛果敢な武将としての逸話が多く残されておいる鎌倉権五郎景政公を縁とするお寺です。本尊は不動明王、その右手に持つ剣は正式には倶利伽羅剣といい、剣に龍が巻きついた姿で表されます。不動明王が倶利伽羅龍王と変化し、どんな場所へでも人々を救いに向かうという不動明王の強い誓願を現しています。長運寺の葉山厄除不動尊に参拝し、不動明王のご利益にあずかり開運必勝をご祈願ください。


それぞれの社寺で龍の信仰にお参りし、巡礼する中で願いが研ぎ澄まされ、大願成就の心も養われていくことでしょう。この辰年には、龍玉授与の旅にでて、1年の平安を祈りましょう。



巡拝開催期間:2024年1月1日(月)開始 通年 9時~17時

龍玉 1000円~

満貫玉 1000円~


海南神社  神奈川県三浦市三崎4丁目12−11 · 046-881-3038

福泉寺   神奈川県三浦市初声町三戸1020番地 046-888-1959

西叶神社  神奈川県横須賀市西浦賀1丁目1−13  046-841-0179

浄楽寺   神奈川県横須賀市芦名2-30-5 046⁻856-8622

森戸大明神 神奈川県三浦郡葉山町堀内1025 046-875-2681 

長運寺   神奈川県三浦郡葉山町長柄615 046-875-2609


※各寺社駐車場有

※アクセスは各自ご確認ください

 

【海南神社由緒】

海南神社では御手洗池に架かる神橋先に龍神社が祀られています。

この龍神社の上にかかるご神木は龍神大神のお姿をしており力強いご神気を感じます、

ご神木は源頼朝お手植えと伝えられており雌雄の樹齢800年以上の生命力あふれる大銀杏です。

また源頼朝の挙兵に呼応した和田義盛は衣笠城で畠山・江戸の諸軍と戦ったものの落城、海路房州に逃れた。折悪しく大暴風雨に遭遇し、流されて兵糧が尽きたとき、龍神に加護を祈ったところ「筌」という竹製の漁具が流されてきた。辛うじてこれを用いて魚をとり、主従飢えをしのいだ事があり、この地に三浦七福神「筌龍弁財天」(せんりゅうべんざいてん)を祀りました。

海南神社、龍神社、筌龍弁財天をお詣りして日々の安泰をご祈願し万事を良い方向に変えましょう。


【浄楽寺由緒】

浄楽寺は1189年和田義盛夫妻発願の運慶真作(国指定重要文化財)が五体祀られています。そのうちの一つに和田義盛が奥州征伐の際に戦勝祈願で発願された開運毘沙門天像があります。毘沙門天は富と財宝の神であり、武士や戦士たちの守護神としても崇拝されてきました。和田義盛が無事に戦に勝利したことから開運毘沙門天と呼ばれています。このお像は国指定を受ける前、江戸時代建立の本堂内、向かって左側のお厨子に祀られていました。お厨子の両側の扉絵には脇侍の吉祥天と善膩師(ぜんにし)童子が描かれています。また、板戸の上部には毘沙門天を護り海の波に逆らって飛ぶ龍が描かれています。この龍は富や繁栄を象徴する存在とされ、逆境を乗り越えて繁栄をもたらす力を表しています。浄楽寺の開運毘沙門天、龍神をお参りして各々のご利益をご祈願するとともに、逆境に勝つ力を備えてまいりましょう。

※運慶作毘沙門天像(国重文)は要事前予約


【長運寺由緒】

長運寺は山号を景政山と号し、鎌倉権五郎景政公を縁とするお寺です。景政公は勇猛果敢な武将としての逸話が多く残されており、当寺の本尊も、その威厳を尊格化したような勇ましいお姿をした不動明王です。葉山厄除不動尊として必勝、開運のお不動様と親しまれています。不動明王は右手に剣を持ったお姿をしています。この剣は正式には倶利伽羅剣といい、剣に龍が巻きついた姿で表されます。不動明王が倶利伽羅龍王と変化し、どんな場所へでも人々を救いに向かうという不動明王の強い誓願を現しています。長運寺の葉山厄除不動尊に参拝し、不動明王のご利益にあずかり開運必勝をご祈願ください。


【森戸大明神由緒】

森戸大明神裏の沖合い約700メートルにある名島には龍神宮が鎮座し、龍神様(大綿津見大神)がお祀りされています。

創祀は不明ですが、古来から漁師をはじめ海や川、水に関わる方々からの信仰が篤く、多くの恵みをもたらし、良い運命へと導いてくださる昇運の神様として親しまれております。

鎌倉時代より七瀬祓いと称される御祓の霊所として重要であった森戸大明神にお参りをし、心身共に清らかになり運を開いた(開運)後は、神社裏手より龍神宮に向かい遥拝をし、開いた運が更に昇華するよう龍神様にお祈りしましょう。


【西叶神社由緒】

叶神社は養和元年(1181)神護寺文覚上人が京都、石清水八幡宮より勧請し創建しました。その由縁は、源氏再興を発願し本願が叶えられれば勝地を探し求め八幡の一社を建立、末永く祭祀をせんと誓いをたてました。養和元年大願成就の前兆を感得し、源氏再興の大願が叶うたところから、叶大明神と称するようになりました。以前の社殿は天保13年、火事で焼失しました。再建する際に二度と火の災いが起こらない様、龍神を併せ祀ることになりました。龍は水との関係が密接であり、戦国時代から漢代に書かれた『管子』には「龍は水から生ず」と記され、同じく戦国時代に成立したとされる『春秋左氏伝』にも「龍は水物なり」という記述が残されています。現在の社殿には多くの龍の彫刻が施され、拝殿天井には墨絵の龍が描かれています。


【福泉寺由緒】

当山の開基は今から約450年前まさに時は戦国時代。言わずもがな強さや吉祥をもたらす象徴として『龍』が崇められていた時代でもありましょう。

それは開山に尽力した武家の進藤隼人正が山号に「龍圓山」院号に「龍泉院」と授けたことからも伺い知ることができます。海と緑に囲まれ、幾多の時を経ても変わらぬ自然の中に建つ当山。隼人正もきっと相模湾越しに見える富士の山に安寧を願い、『龍』に思いを託したに違いありません。やがてこの地の人々の思いも重なり、水難除け、五穀豊穣など信仰の要となっていきました。

龍の形をした手水舎で身を清め、海風香る中で心をほぐし、健康と安寧を願いましょう。



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