「精進落とし」 聞いたことはあるだろうけど、 今ではただの食事として考えられているかもね。
近年では(地方にもよるけれど) 通夜を行い、 翌日に葬儀(告別式)と火葬を行う。
遺骨が火葬場から帰ったその晩に、 手伝いの人や駆け付けた親せきの人たちに酒と食事をふるまう。
この席を精進落とし(精進明け)と言っているよね。
(通夜でふるまわれることもある※地域差があります。)
仏教の考えでは「忌み」や「穢れ」というを嫌う教えはないのだけれど、 神道では「死」を「穢れ」としている。
さらに、死の穢れは伝染するものだとして考えられていた。 だから、 かつての日本では不幸のあった家では穢れがおさまるまでの 四十九日までは魚や肉などのなまぐさものは食べずに、 精進料理で過ごし、外出を控え、家にこもっていたんだよ。
人に会えば死をまとっているようで嫌がられるしね。
それで、
この期間に区切りをつけ、
「もう穢れがありませんよー」って皆に知らせて、
普段の生活に戻るのが精進落としの本当の意味。
時代は変わり、 現代社会では四十九日間もこもりというわけにはいかないのが現実。
だから多くは葬儀の当日に初七日の法要を兼ねて、 「忌み」が明けたということにする。
そのまま行えるように 火葬の後や最中に席を設けることが多くなっているよね。
料理も精進料理にこだわらなくなって、
お寿司やオードブルなど豪華なものが増えている。
もはや、 死後の伝染病などの目に見えぬたたりから 穢れ(=気枯れ)が心配されていたが、 現代において死の穢れはあまり気にされていないのだろうか。
人が亡くなってその次の日に働き出す、
現代の働き者。
もう少しその死をいたわるためにも
むしろ精進落としまでゆっくりできたらいいのに…
なんて考えてしまう。
なんでも簡略化で時間は短縮。
一番大事なのは仕事のこと。
それでいいのか。
日本人。