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執筆者の写真副住職

9月のネット法話「身口の不浄を嫌わぬ行」

「身口の不浄を嫌わぬ行」


「ヒグラシにミンミンゼミに鈴虫に夏から秋の声変わりかな」


ようやく長月、秋を迎えます。


8月は盂蘭盆会、大施餓鬼会、盆竹灯籠まつりと大忙しで走り回っておりました。


気がついたらパリオリンピックが終わっていました。


一つの競技も満足に見られずじまいでしたが、 ハイライトで見たところ、日本金メダル18個、総獲得メダル数43個のメダルラッシュ。


オリンピックは参加国の友好を深める平和のイベントですから、 メダルが最重要ではありませんが、 努力が実った選手からすればその喜びもひとしおでしょう。


うれしいニュースがあれば悲しいニュースもあるもので、、、、、

なかでも残念に思ったのは、SNSを使い日本人が敗者の誹謗中傷を行ったことです。


想像を絶するプレッシャー、 慣れない土地での競技、 様々な事情の中で本気で競技に打ち込む。


結果を出せなかった選手が一番悔しい思いをしているのは当然のことです。


そんな彼らに対しての誹謗中傷は信じられないことです。


古来より日本人は他者への敬意を大切にしてきました。


礼の心を重んじ、剣道などで見られる通り勝負事では敗者への尊敬も忘れません。


本音と建て前、心で思っても口には出さないという美徳もあります。


しかし、匿名SNSは日本人の美徳を 簡単に忘れさせるほど悪意を表に出しやすくしてしまいます。


便利なものほど使い方は考えなければなりません。


逆に言えば、他国からその敬意・ 行動を賞賛される日本人も、 口には出さないけれど悪意をいただいてしまう存在であるということです。


身口意の三業というものがあります。


身は行動、口は言動、意は心の動きを指し総じて人の誠の心を映します。


心で思い、溢れては口に出し、最後には行動です。


悪意も善意もこの順番を経て表に出ます。


仏教では、執着を苦の根源とし、悪意は執着からおこるものであると説きます。


苦の根源ですから、悪意を持つこと、 執着を持つことから離れることが正しい心持ですが、


こういった煩悩から離れるのはとても難しいものです。


浄土宗宗祖法然上人は自らを十悪の法然坊と称し、 執着から離れることの難しさをご自身で譬えて伝えられました。


そんな不浄な口と身を持つ我々でも救われたいと願うのであれば 阿弥陀仏は救ってくださいます。


阿弥陀仏の目から見たら、 ゼロ以上の悪業はみなどんぐりの背比べです。


不浄を嫌わずどんなものでも救いとろうという阿弥陀仏の光は、 だれにでも降り注いでいるのです。


改めて自分を見つめなおしたとき、 「私も愚痴をいってしまう」 「他人に求めすぎてしまう」 「感謝の心を忘れがち」 といったことはだれにでも当てはまるものです。


反省と改善を繰り返しながら、 最後には極楽を求め、導いていただけるよう日々のお念仏が大切です。


お彼岸の季節が来ました。


7日間の念仏修行、ともどもに精進いたしましょう。


南無阿弥陀仏

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