「日本近代文明の一大恩人、前島密翁」
四月二十七日、郵便局長OBが組織する前島密翁を称える会主催による、 前島密翁墓前祭が今年も行われ、全国の郵便局関係者、一般の方百九十六名のお参りがありました。
パラパラと降っていた雨も開催の直前に止み、
無事墓前でのお参りができたことは、前島密翁のお導きもあったことでしょう。
今年で百九回目を迎える墓前祭は前島密翁没後八十年の機に前島密翁を称える会が発足し行われるようになったと聞いております。これまで身近に感じることのできなかった郵便の父の心を感じられる機会になっているのではないでしょうか。
前島密翁は新潟県上越市で生まれました。
医者になることを志し、 十二歳で親元を出て江戸へ向かう密(当時、上野房五郎~巻退蔵~前島来助~前島密と改名、以下統一して密)には波乱万丈の人生が待っていました。
医学最先端の蘭学を学び、 ペリー来航から国防のため英語を学び、 航海術を学び、 機関学を学び、 場所にして日本全国を活動の場とし、 「旅」な人生を歩みます。
幕末~明治にかけて活躍した密は郵便制度を作った人として有名ですが、 実は現代における様々な文明の仕組みを立案、組み立てて実践してきた人です。
例えば、「漢字御廃止之議」です。
当時は漢文で中国の文化を学ぶことが教育の肝要とされてきた中、 幼少より学ぶ漢文の難解複雑なこと、 意味もよくわからず、 使わない漢字を学ぶこともあたりまえでした。
英語塾である倍社、 のちには早稲田大学の前身、東京専門学校を運営するなど密は、 教育にも深く携わってきました。
日本の国力を底上げするには、 一般教育が一番大切であるという考えから、 識字率、理解力の向上を目指し、 幕府に対して公的文書での漢文を廃止し、 仮名文字の活用を勧めます。
現代の小学校一年生が仮名文字から入り、 各学年適切な漢字数を学ぶことは密の考えから始まったことでありました。
首都東京遷都、鉄道導入、新聞発行、郵便為替、保険、海運、陸運どれをとっても 現代では日常生活の一部です。
そうして、様々な大事業を行ってきた密にはある志がありました。
「縁の下の力持ちになることを厭うな、人のために良かれと思う心を常に持てよ」
世界と交わるその時に日本人という誇りを持ち、 大和魂を忘れず人々を豊かに、社会を豊かに。
その一代記や終の棲家を知る人は多くはありませんが、 立派に世に尽くした人であります。
皆徳往生のお念仏を説かれ、 すべての人の安寧と安心を説いた法然上人のその姿に密を重ねることができます。
つらく厳しいことの多い日々でありますが、 最後を極楽浄土に見据え、念仏の生活を送る中でこそ、 自らの弱きを知り、先祖の恩恵に感謝し、 その恩を未来にどう返していくことができるかという思いが高まります。
その志、しっかりと引き継いでいきたいものです。
南無阿弥陀仏
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