あけましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
二〇二四年に迎える甲辰(きのえたつ)は、 十干十二支の四十一番目の年にあたり、 十干の一番目である「甲」と十二支の五番目である「辰」が重なる年です。
辰は龍を表し、干支唯一の空想上の生物を充てています。
辰の年は、草木が成長して活力が旺盛になる状態を表しているといい、 再生を彷彿させます。
また、甲は種子から連想される、物事に対して耐え忍ぶ状態を表し、再生と発展を意味します。
この二つが合わさる甲辰はまさに再生と覚醒の年とされてきました。
コロナウィルスの影響で様々な社会の変化がありましたが、 それも令和五年には落ち着きを見せ、 コロナ禍で生まれたニュースタンダードな価値観も継続しつつ、 以前の賑わいに戻そうという動きも各所で起きています。
インバウンドも盛り上がりを見せはじめ、 日本の価値・価値観が世界へと伝わって行くことでしょう。
まさにその最中となるこの令和6年は大きな変化が起きていく年になりそうです。
昨今、インターネットやAI技術の発達により、 社会の変化、情報の伝達スピードは以前とは比べ物にならないほど早くなりました。
得る情報もテレビ新聞がスタンダードではなくなり、 それぞれが数えきれない選択肢から選び取るようになりました。
情報が無限に広がる中で、もはや「普通」はなくなり、 「常識」も危うくなっています。
何をよりどころにして生きていけばいいのでしょうか。
仏教の中では「戒律」を重んじることが信仰の前提にあります。
戒律とは仏教のルールともいうものですが、 「自分が苦しみを感じる原因を手放す」ために課せられています。
結果として、他を貶めず、自利のみを求めず、 他を尊び、利他を喜ぶことにもつながります。
共生社会の中では助け合いの心を忘れては生きていくことはできません。
今こそ仏教に目を向けることが幸せへの道だと強く主張します。
法然上人は御法語の中で「我戒を一切も保てず」と説かれているところがあります。
法然上人ほどの高僧であっても「戒を保てない」と嘆かれ、 そんなものでも救われる道が「念仏」しかないと説かれました。
しかし、「戒を保つな」とは説いておりません。
戒を保とうと心から努力し、そのうえ高慢になることなく、 自らを見つめることを忘れずに生きていく中に真心の念仏があるのです。
そして、念仏を真心でとなえる中で正しく生きる心も養われると説かれます。
戒律を保ち、真心で念仏をとなえることで「自分だけよければいい」という心から離れることができます。
ここに本当の仕合わせがあるのではないでしょうか。
念仏は弥陀の本願、釈迦出生の本懐であり、万人救済の道です。
念仏を心からとなえれば極楽往生は決定します。
令和六年、念仏を忘れずに過ごしてまいりましょう。
南無阿弥陀仏
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