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仏教からなることわざ「一日作(な)さざれば 一日食らわず」の意味とは?




日本語は仏教用語に由来するものが多い。

その中でも教訓として作られることわざには仏教の教えが 多く用いられていることを知っているだろうか。

本日は「一日作(な)さざれば 一日食らわず」ということわざの意味について。

禅の僧侶たちが修行をする禅堂では 、坐禅ばかりでなく畑での作業や山の下草刈り、 掃除などの労役も修行として重視される。これが「作務」だ。


中国・宋代の「景徳伝灯録」に登場する懐海という僧は、 年老いても作務をやめず、若い僧侶に交じって作務に励んでいた。


周りの人は老骨に鞭を打ってまで労役をする懐海の体を心配した。


寺の事務長格の院主が見かねて鎌などを隠しても 「徳の無いものが他人の世話にはなれない」と、必死に探しまわる始末。


はてには食事もとらなくなってしまったという。


懐海は「一日作さざれば一日食らわず」といって、 作務が坐禅と共に重要であることを身をもって示したのである。


これは、「働かざるもの食うべからず」と混合されがちな言葉だが、 人の労働のピンハネをして安楽のみをむさぼることを戒めたものであり、 こちらは禅の教えとは関係がない。


働かなければ食べないという自らの決意がここには秘められているのだ。


#食べません

#やることはきちんとやります

#作務こそ禅とな




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