2026年8月のネット法話「帰省する場所」
- 副住職

- 8月15日
- 読了時間: 4分

帰る場所は、いつから「故郷」になったのか
先日、「帰省は一つのブームであった」という趣旨の記事を読み、たいへん印象に残りました。
現在のように、お盆や正月の休暇を利用して、家族そろって故郷へ帰る習慣が広く定着したのは、比較的新しい時代のことだといいます。
明治以降、都市部で働く会社員が増え、昭和に入ると、大きな会社を中心にまとまった休暇が取られるようになりました。
地方から都市へ出て働く人々が、その休暇を利用して故郷へ帰る。
そのような暮らしの変化が、今日の「帰省」の形につながっていったのでしょう。
それ以前は、多くの人が農業や商売などの家業に携わっており、家族全員で仕事を休み、遠方の実家へ帰るという生活そのものが一般的ではありませんでした。
お盆に家族で墓参りをする習慣も、火葬が広まり、墓地や墓石が現在のように整えられていく中で、少しずつ定着してきたものだといわれます。
私たちが「昔から変わらない文化」だと思っていることも、実は時代や暮らしの変化の中で生まれ、形づくられてきたものなのかもしれません。
帰省する場所がなくなる時代
昭和から平成にかけて当たり前となった帰省も、今では少しずつ形を変えています。
都市で生まれ育ち、「帰るべき田舎」を持たない人も増えました。
親が亡くなったり、実家がなくなったりして、帰省する場所そのものを失う人もいます。
「故郷へ帰る」という言葉に、誰もが同じ風景を思い浮かべる時代ではなくなってきたのでしょう。
しかし、お盆にはもう一つの「帰省」があります。
それは、ご先祖様が私たちのもとへ帰ってこられるということです。
お盆は、ご先祖様を迎える時間
お盆には精霊棚を整え、迎え火を焚き、ご先祖様をお迎えします。
ともに過ごし、手を合わせ、感謝を伝え、近況を報告する。
そして最後には送り火を焚いて、お見送りします。
生きている私たちが故郷へ帰るだけではありません。
極楽浄土に往生された方々を、この世にお迎えする。
それもまた、お盆の大切な意味です。
感謝とは、過去を美化することではない
「先祖から財産や土地を受け継いだわけではないから、特別に感謝することはない」
そう考える方もいるかもしれません。
確かに、親や先祖との関係は、誰にとっても温かく、恵まれたものばかりではありません。
つらい思いを抱えている方もいるでしょう。
無理に過去を美化する必要はありません。
それでも私たちは、命を受け、この世とのご縁をいただきました。
この世には苦しいこともあります。
けれども同時に、喜びも、出会いも、愛する人とのご縁もあります。
命がつながれてこなければ、それらに出会うこともありませんでした。
何かをもらったから感謝するのではなく、命とご縁を受けたことに手を合わせる。
それがお盆の供養なのではないでしょうか。
ご先祖様とのご縁を結び直す
お盆にご先祖様が帰ってこられるという信仰は、一時の流行ではありません。
それは、私たちとご先祖様とのご縁を結び直し、さらにその先にある極楽浄土と親しくなるための仏教の営みです。
信仰を忘れてしまえば、お盆は単なる休暇や年中行事になってしまいます。
しかし、ご先祖様を迎え、極楽浄土を思い、阿弥陀仏に手を合わせるならば、お盆は私たち自身の生き方を見つめ直す大切な時間となります。
先祖を大切にする心は、過去だけに向けられるものではありません。
それは、今を生きる自分や家族を大切にする心にもつながっていきます。
私たちにも、帰る場所がある
これから故郷へ帰る方も、ご家族を迎える方もいらっしゃるでしょう。
そして私たちは皆、ご先祖様を迎える側でもあります。
どうぞ、ご家族とご先祖様を快くお迎えし、日頃なかなか伝えることのできない感謝をお伝えください。
同時に、毎日を懸命に生きているご自身のことも、少しいたわってください。
そして、口には
「南無阿弥陀仏」
と、お念仏をお称えしましょう。
私たちが帰る故郷がなくなったとしても、命の帰る場所である極楽浄土はなくなりません。
この世に生まれ、多くのご縁の中を生き、やがて阿弥陀さまのもとへ帰っていく。
そう考えると、「帰省する場所」という言葉も、少し違って見えてくるように思います。
どうぞ、よいお盆をお迎えください。
南無阿弥陀仏