日本語は仏教用語に由来するものが多い。
その中でも教訓として作られることわざには仏教の教えが 多く用いられていることを知っているだろうか。
迷いと苦しみのこの世(此岸)から、 平安な悟りの彼岸(極楽)に渡ることを「度す」という。
「度」はサンズイが付いた「渡」と同じ意味を表す。
衆生は念仏を称えると阿弥陀仏の船に乗せてもらうことができ、 阿弥陀仏の力で極楽に渡してもらえる。
阿弥陀仏に渡してもらえなければ、 人は自ら覚りを得られない限り救われない。
ところが、煩悩だらけの人は自分が正しいと耳をふさぎ、 我を張っていてこちらの救いの手に近づいてこない。
さらには覚りには到底近づけるわけもない。
そんなもののことはどうしようにも救いようがない。
仏さまはすべての人に慈悲をたれるのに、 その言葉を聞かぬ者には救いの道は開かれない。
結局、仏縁を得られないものは救ってもらえないということになる。
助け船を出してもらっても、聞く耳を持たない人は、 どうしようもない、救いようがない、という例えである。
Comentários