日本語は他国に比べても、ワードが非常に多い。
日本人として正しく本来の言葉の意味を理解して言葉を使いたいものだ。
そんな本日は「面目」ということばの由来について。
本来の自分の姿
禅宗では「面目」を「メンモク」と読み、 とても重要な意味を持つ言葉としてとらえている。
それは、一人の人間の根本的な本質であり、 迷いや穢れからきれいさっぱり抜け出た本来の、正味の人間の姿である。
たとえば、何かに打ち込んでいるときは、 人は他のものには目もくれないくらい一心不乱になる。
歯を磨いているとき、食事をしているとき、 本を読んでいるとき、…それぞれ自分自身の一面がそこに出ているわけである。
つまり、人は自分がしている何かに、 常にとらわれて生きているということだ。
それぞれの一面がその人のいろいろな面を表す。
「目」とはその中心にあるものである。
それでは、そういったすべてにとらわれないときの自分自身とは、 いったいどういうものであろうか。
その姿が、「面目」なのである。
とらわれない、ということは非常に難しいことだ。
とらわれまいとして意識すれば、 その意識というものにとらわれていることになってしまうからである。
それが自然にできて、本来の「面目」が得られれば、 自分以上でも以下でもない本当の自分の姿になれる。
これが「無」になるということは、 つまり「解脱」ということなのである。
一般では「体裁」とか「対面」という意味に使われている。
「面目丸つぶれ」といえば「世間様に顔向けできない」ということである。
しかし、本来の「メンモク」の事を考えれば、 こうした「メンモク」はいかに小さくつまらないものだろうか。
本来の自分自身を大切にして、素直に生きたいものである。
言葉の語源を知ることは大切なことだとあらためて思い知った。
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