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普段何気なく使っているけどこれはもともと仏教用語「世知辛い」の本当の意味とは?

執筆者の写真: 副住職副住職

日本語は他国に比べても、ワードが非常に多いです。

日本人として正しく本来の言葉の意味を理解して言葉を使いたいものです。

そんな本日は「世知辛い」ということばについて。

「せちがらい世の中だねぇ」


つらいことがあると世の中に不満を持ち、嘆きとともに口にしてしまう言葉。


ため息交じりに吐くのが似合うこの言葉は実は仏教語なのである。


「世知」とは、俗世間を渡る智慧のことを指す。 つまり、「世」俗の「智=知」慧のことである。

辛い(からい)はつらいとも読み、苦痛を表す言葉である。


世知は世の中の酸いも甘いも知り尽くした人が持っている世渡り術のようなものであり、ペテン師のような人間の能力も「世知」という。

だから「せちがらい」という言葉には、「世間連れしていて抜け目がない、計算高い」という意味もある。


そうすると「世知がつらい」となり意味もつながってくる。


現代では「暮らしにくい」等という意味で使われている事が多い。

これも「(世俗の智慧がある人が多くて)暮らしづらい」という意味が込められている。


世の中の智慧も使いよう。


正しく使えば人のためになり、間違った使い方をすれば人を貶めることになる。


弱肉強食ともされる実力主義の現代社会では競争が求められ時に本当の目的を失い私利私欲に刈られることもあるだろう。


世知辛い世の中では自分自身がせちがらく生きていかなければやっていけないのかもしれない。


そんな生き方を選ぶのか。


そうでない生き方を選ぶのか。


ただ与えられたものをいただくのではなく、

しっかりと自分の考えを持って一つ一つ選んできたいものだ。


合掌


#世知辛い

#正しく使う智慧

#流されるのではなく流れる

#自分で選ぶという責任


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