日本語は他国に比べても、ワードが非常に多い。
日本人として正しく本来の言葉の意味を理解して言葉を使いたいものだ。
そんな本日は「エコヒイキ」ということばについて。
小学校の頃の思い出で、 先生がある生徒をエコヒイキして嫌だったという話はよくある。
しかし、エコヒイキされたという思い出話を聞かないのは、 どういうことだろう。
「依怙贔屓」と漢字で書くこの言葉は、 「差別的に愛情を注ぐ」という複雑な意味を持っている。
しかし、もとはそのような見方ではなかったようだ。
「依怙」とは、仏教で心底から頼りにしてよりかかるということ。
厄災をのがれようと、 観音さまにすがったりすることを「依怙」といったのである。
小学校でいえば「先生、先生」といって頼りにする生徒が「依怙」になる。
無私平等の観音さまも、その名を称えるもの、 厄災に見舞われているものを優先的に救う。
つまり、「依怙」とはそう強い存在ではないのだ。
保護を求めるものと、一人で生きるものを比べたら、 当然ながら求めるものに手は差し伸べられるだろう。
こうして、特定のものをヒイキにし、 かわいがることを「エコヒイキ」というようになった。
しかし、エコヒイキを嘆くのは、 素直に救いを求めない意地っ張りのひがみである場合も少なくない。
そういう素直でない心に生まれる意識で 嫌な思い出として焼き付いてしまったのかもしれない。
私たちの生活には仏教が染みついている!
合掌