日本語は他国に比べても、ワードが非常に多い。
日本人として正しく本来の言葉の意味を理解して言葉を使いたいものだ。
そんな本日は「ウヤムヤ」ということばについて。
有るのやら無いのやら
古代インドの哲学では「物があるのか、ないのか」という、 とうてい凡人には理解できないような議論をしていた。
こういう議論にははっきりとした答えが無いのは当然である。
禅問答のようなものだ。
そこへお釈迦さまが現れ、 「有無を言わせず」、人間が幸せになる真理を説いた。
「理屈ばかり説いても意味がない」といったところか。
聖徳太子の言葉「和を以て貴しとなす」にも言われる通り、 日本人は基本的に争いを好まず、集団での考え方を重視する癖がある。
なんとなく、ふわっと、YESでもNOでもない。
そんな考え方のもとで行われる会話や結論には まさに「ウヤムヤ」なものが多いかもしれない。
現在では、ウヤムヤとすると「はっきりしない様」 という意味でつかわれているが、 もとは僧侶の問答の「有耶?無耶?」(あるのか?ないのか?)からきている。
つまりウヤムヤは白黒はっきりさせるための質問であった。
しかし、人間は己の欲望のために、 「わかる」ことも「わからない」かのように はっきりさせない返答をすることがある。
いつしか、白黒はっきりさせる質問であったウヤムヤは、 答えがあいまいなものばかりで、 その答えにウヤムヤが使われるようになってしまったといわれる。
ウヤムヤにするのか、しないのか。 相手を傷つけないという尺度で考えるのも大切であろうか。
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