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執筆者の写真副住職

8月のネット法話「突き詰めることで開かれる道」

更新日:2021年9月21日



オリンピックが始まりました。


連日、金メダルラッシュでお茶の間を沸かせていますね。


コロナ禍でどうなることかと思われていたオリンピックも始まってしまえば、 その魅力に引き込まれます。


観客サイドの我々にとって、 オリンピックの開催は「どっちでもいいこと」だったかもしれません。


海外からの入国は感染拡大を引き起こすかもしれないと神経質になっている人も多く、 開催に反対の意見を持つ人も多数見受けることができます。


しかし、当事者にとってみれば、4年に一度のチャンスです。


そこまで鍛錬を重ね、 その集大成を迎えられないのはなんともやるせない思いでしょう。


そういう観点では、開催されたことは非常に喜ばしいことであります。


スポーツ選手には皆一様に積み重ねてきた歴史があります。


特別に見える彼らも例外ではなく、 何年にも渡り「何かを捨て、何かを得る」という選択をしてきたことでしょう。


そこには、「ただ一つを突き詰める」という強い意志が働いていることは 言うまでもありません。


スポーツ選手に限らず、我々も日々の中で選択をしています。


その多くがたいそうなことではないのかもしれません。


それでも、何かを捨て、何かを得ているわけです。


その繰り返しです。


だからこそ、意識的に突き詰める努力というのは 非常に大切なことであります。


やめてしまえばそこで終わり、 やめなければ目指せるものがあるということです。


そう意味では意識的に突き詰めることには

不退転の可能性が込められているといえます。


ただなんとなく日々を生きるのではなく、 何かを突き詰める努力には目標が達成できてもできなくても、 そこに自分という存在があるはずです。


法然上人は極楽浄土に思いを向けて、 お念仏を突き詰めた人でした。


念佛一日に6万遍です。


そこには、自らが救われる可能性と、 万人救済の布教を志しておられました。


同様に、お念仏も突き詰める必要があります。


一日一回でも構いませんが毎日継続して突き詰めるその先に、 いつなくなるかもわからない我々の一生の次へ、極楽往生の道が開かれるのです。                   


南無阿弥陀仏

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