「花はつねにあたらしい枝に咲き、あたらしい枝はかならずふるい幹から出る」相
田みつをさんの言葉です。
何もなかったところから何かが生まれることはありません。
何かのきっかけをもって生まれるわけです。
これはお釈迦様の説かれた因果応報の理でもあります。
物事には必ず原因があり、それが結果となる。
善い行いは善い結果となり(善因善果)、悪い行いは悪い結果となる(悪因悪果)。
しかしながら、物事は思い通りにはいきません。
善果を求めて善因を作ろうと躍起になりますが、ふたを開けてみると悪果であったなんてことも少なくはありません。
それは私たち人間が、物事の善し悪しやを正しく判断することができない存在であるからですが、悪果を求めて悪因を作る人が、善果を得るなどということはないわけです。
失敗を繰り返しながらも、善果を作るために勤めるのが、右も左もわからないながらに正しく生きたいと願う私たちの理想の姿ではないでしょうか。
『「でも」から始まる言葉ばかり使う人は前進できない』
と言ったのは企業界の風雲児・堀江貴文氏。
経済に関してばかりではなく何にでも当てはまりそうな気がします。
自分の外界の物事を言い訳にするのではなく、今、どのようにすれば、何ができるのか。
コロナウィルスの影響は全世界に広がり、今もなお先の見えない世の中ではありますが、私たちの命の時間は刻一刻と進んでおります。
「コロナのせいで」と何かの言い訳にするのではなく、「コロナのおかげで」と目線を変えて日々の生活や考え方を変えてみることも必要なかもしれません。
自分の人生は自分の一日一日の積み重ねです。
ある日突然劇的に何かが変わるなどということはありません。
いい原因を作りいい結果を迎えられるように日々を過ごしてまいりましょう。
そもそも一寸先は闇。
無常の風はいつ吹くかもわかりません。
南無阿弥陀仏
#一朝一夕
#種まき