今月のネット法話「涅槃会に考える」


陰暦二月十五日はお釈迦様入滅の日。

お釈迦様の回忌として世界中で涅槃会が行われます。

涅槃とは「悩み苦しみの元となる煩悩の火が全て吹き消された悟りの世界」を意味します。

お釈迦様は自らの悩みから解放されることを目的として出家されました。

「生老病死という苦しみから逃れたい」私たちと同じく悩み苦しまれていた姿からは親近感を感じることができ、同じ人間であるかのように錯覚してしまいます。

いつまでも若くいたい、若かった頃の自分に戻りたい、病気になりたくない、健康だったころの自分に戻りたい、死にたくない。

願えば願うほど煩悩の火は燃えあがり苦しさは増すばかり。煩悩とは「こうでありたい」と強く望む心です。

悩み苦しみの原因でありながら、時に原動力ともなるこの力は、私たちの中から全てなくなることはありません。

ですから、うまく付き合わなくてはいけないわけです。

最近は「根性論」が肯定されない風潮にあります。

上司や先輩、親から発破をかけられ、「自分はこんなもんじゃない」と自分自身を奮い立たせる。

そして、目の前の問題にこれまで以上に真剣に取り掛かります。

私たちは自らの人生を進むうえで様々な障害にぶつかりますが、そのほとんどは自分自身と向き合い自分で解決していかなくてはならないことばかりです。

全てが思い通りにはいかないこの世の中ではその挫折にも耐えられる心を養う必要があります。

そうかんがえますと人生最後まで根性論です。

強いられるのは気分が良くないものかもしれませんが、自らの発破でもって、歩み続けなければなりません。

「個」を大切にしたいという最近の傾向は、こういった古き良き日本の「おせっかい」や「助け合い」も減少させているような気がいたします。

もちろんケースバイケースですが。

しかし、何を選ぶのかは自分で決めることができます。

欲するものが多ければ挫折も多くなり、悩みも苦しみも多くなります。

少なければその逆です。

自ら何を選び何を背負って生きていくのか。

自分にちょうどのいい量と、求めるものを決めていかなければなりません。

それを超えてしまいますと、

また、悩みや苦しみは増えてしまいます。

涅槃。

それは煩悩の無い、すがすがしい状態でしょう。

この世で私たちが到達するのは到底無理であると

浄土宗祖法然上人もおっしゃっておられました。

お釈迦様のように最後は涅槃の境地に…

と願いたいところですが、やはり到底耐えられそうにもありません。

阿弥陀仏の請願がとてもありがたく感じられます。

日々にお念仏を。

そして

人生の最後には阿弥陀仏様に半分荷物を持っていただくことをお勧めいたします。

南無阿弥陀仏

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