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今月のネット法話「新年」


2019年となりました。

この正月は皆さんいかがお過ごしでしょうか。

毎年、年明けにはお檀家さんの元にご挨拶に伺います。

この横須賀地区では「年明けの三が日は、お寺ではお参りに来てくれるな」という地域的な信仰がありまして、4日目から挨拶に伺います。

これは昔ながらの「死の穢れ」という、日本人古来の信仰に基づくものでしょう。お寺が「死」と近いから、目出度い3が日には来ないでくれということなのでしょうか。

仏教的な感覚では「死の穢れ」というものはありません。

一番目出度いものである仏様の教えを説く修行道場です。

地域習慣も大切なものだとは思いますが、否定的なものに関してはしっかりと意味を理解して継承していただきたいところです。

年末に昨年の漢字が発表されましたが、ご存知の通り「災」という漢字でした。

確かに振り返れば二〇一八年は近年まれにみるほど災害の多い年でした。

被災された皆様には、謹んで哀悼の意を表します。

南無阿弥陀仏

毎年発表される「今年の漢字」それは過ぎた1年を表すものです。

過去を振り返ればわかる事は多くございます。

それは「過去」というのは変えることができない既に出来上がった結果であるからです。

お釈迦様はすべての物事には「原因」と「結果」があると因果の真理をお説きになられました。

今自分がここにいるという結果は自分が歩んできた人生の中で作り上げてきた結果の積み重ねです。

「今」という一瞬一瞬の積み重ねの中で私たちの未来は作られ、私たちの過去は出来上がります。

善い行いの積み重ねで得るものは善いものになるでしょう。

悪いものの積み重ねで得るものは悪いものになるでしょう。

これこそがお釈迦様が説くところの「自業自得」でございます。

何を積み重ね、どんな人生を望むのか。新年の始まりには、家族でそんなことを話し合ってみるのもいいかもしれません。

あるお坊様が「皆さんは毎日の中で人を笑顔にする計算式を使っていますか?」と質問されました。

「それは、目の前の人を助(+)ける、お願いを快く引き(-)受ける、困っている人に声をかけ(×)る、愛する人をいたわる(÷)」というものでした。

素晴らしい計算式だなぁと思いました。

人に与えることで返ってくるものがあります。

何が返ってくるのかで普段の自分の行いがわかるかもしれません。

どんな人生を歩むのか、きっとそれも日々の行いの積み重ねですね。

そんな積み重ねの人生、

振り返ると過ぎてみればその道に「人生がある」。

皆様の人生の終わりにはなんという漢字がふさわしくなるのでしょうか。

どんな漢字となるべく歩みましょうか。

しかし、善い行いを心がけてはみるもののなかなかうまくいかないものです。

気を抜くと自分に有利なことばかり、楽なことばかり考えてしまいます。

年始から早速も反省の毎日でございます。

今年も阿弥陀様にそんな私たちの平安をお祈りして毎日にお念仏をお称えいたしましょう。

南無阿弥陀仏

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