今年も十夜法要の時期がやってまいります。そもそも十夜法要とは浄土宗所依の経典「無量寿経」の中に「この世において十日十夜の間善行を行うことは、仏の国で千年間善行をすることよりも尊い」と説かれていたことに由来します。このお話を聞いたとき「そんなに極楽浄土で行う善行は軽いものなのか?」と思ってしまいました。この世とは穢土(えど)、つまり穢れた世の中であるといいます。対極して極楽浄土は清浄の世界であります。ですから、清らかで何の障害もない極楽浄土で行う善行とは行いやすく、悩み苦しみの多いこの私たちの世界では、ほかのことに精一杯で善行を行うことが難しいということです。ですから、行いづらいこの環境で行うことはとても尊いとされてきたわけです。 我々凡夫というのはいつも自分のことばかり考えています。もちろん全てではありませんが何か人のためにと思って行うことも、裏を返せば結局は自分のためだったりします。他人のことに本気になれるほど余裕はなく、自分のことで精いっぱいです。「一切皆苦」それほどに住みずらい世の中であるとお釈迦様は説かれました。生きている私が一番大切であると思っているから、死後の世界のために素晴らしい功徳を積んでおきましょうなどといわれても「そんな余裕ないよ」「そんなこと言っている場合じゃないよ」と思ってしまうこともあるかもしれません。しかし、どうでしょう。今この一瞬が一番大切だと思い自分で選んできた道も、年齢を重ね経験を積めば「若かりし頃の」とその判断を見直すこともあるのではないでしょうか。心にも時間にも少しだけ余裕を、未来にも少しだけ功徳を。極楽に行くためにはこの世で一番の善行とされる「お念仏」。この十夜法要でともどもにお称えいたしましょう。 南無阿弥陀仏