お釈迦様の譬え話の中に「筏のたとえ」というお話があります。
ここに、ひとりの人がいて、長い旅を続け、とあるところで大きな河を見て、こう思った。この河のこちらの岸は危ういが、向こう岸は安らかに見える。そこで筏を作り、その筏によって、向こう岸に安らかに着くことができた。そこで「この筏は、私たちを安らかに向こうの岸へ渡してくれた。大変役に立った筏である。だからこの筏を捨てることなく、肩に担いで、行く先へ持っていこう。」と思ったのである。このとき、この人は筏に対して、しなければいけないことをしたといわれるだろうか。そうではない。
このたとえは、「正しくないことは、捨てなければならない。さらに、正しいことにさえ執着すべきではなく、捨て離れなければならない。」ということを示しています。我々はいつも自分の考えが正しいと思いがちです。一度正しいと思うと中々その考えを覆すことができません。
これが執着です。その上、われわれの眼は煩悩という膜で覆われているので、正しく物事を見ることができません。何が正しいことかわからない我々は何が執着かもわかりません。執着からも離れられない、そんな煩悩にまみれた私たちのことを「凡夫(ぼんぶ)」といいます。
そんな至らない我々にも救いの道を与えてくださったのが阿弥陀ほとけ様です。南無阿弥陀仏のお念仏で阿弥陀様自らお迎えを頂き浄土という彼岸に必ず向かうことができます。
今年も多くの煩悩の火をともし続けてしまった我々。除夜の鐘でその煩悩で起こしてしまった罪の連鎖を洗い流し、今年執着してしまったものから南無阿弥陀仏のお念仏で離れ、心を新たに二〇一八年を迎えていただければと思います。
来年の皆さんのご健康とご多幸をお祈りして、今年最後のネット法話をしめさせていただきます。
南無阿弥陀仏
合掌