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12月のネット法話「脚下照顧」



師走。


あっという間に令和4年が終わりを迎えます。


この12月は1年を振り返り、心穏やかに新年を迎えられるよう準備をしたいものです。


禅の言葉に「脚下照顧」というものがあります。 お寺の玄関に掲示されているのを見たことがあるかもしれません。


意味は「自分の足元をよく見よ」ですから、 玄関の掲示は「ここから土足禁止です。靴は脱いでおあがりください」と注意を促していることになりますが、 本来の意は「他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省すべき」となります。


耳が痛い言葉ですが、 他に向かって理屈を言うということは 「私が思っていることこそが正しい」と主張していることになります。


我々は正誤、つまり善悪の基準に何を定めているのかを改めて考えなくてはなりません。


一般的に善悪の基準は、 古く中国から伝わった「十目の見るところ、十指の指すところ」の 十目十指論で考えられています。


多数決ともいえるこの論理は、 多くが肯定し指し示すことを善悪の判断基準とし、 これを常識としてとらえる考え方です。


確かに少数派の意見を常識として考えることは少ないように思われます。


しかし、お釈迦さまは我々人を真理に暗い「無明」と表現されています。


法然上人がいう「凡夫」も同意ですが、 我々人には何が正しいのかを判断する目はなく、 表面的に物事を判断しているに過ぎないということです。


盲目の人が目の前にある陶器の色鮮やかさを詳細に説明できない通り、 無明の我々には何人が束になっても物事の善悪を正しくとらえることは できないということになります。


仏教で示される善悪の基準は「戒」です。


この戒には様々なものがありますが、 一番優しいものに犯してはならぬ10個の悪業として「十悪」というものがあります。


身(からだ)で犯す殺生・偸盗 (ちゅうとう) ・邪淫、口で犯す妄語・悪口 (あっく) ・両舌・綺語 (きご) 、意(こころ)で犯す貪欲 (とんよく) ・瞋恚 (しんい) ・愚痴です。


ここではすべてを説明することはできませんが、 例えば命をいただく人は「殺生」を日常とし、 妄語(うそ)を言わない人はいません。


人の悪口で盛り上がり、 心の中と言葉が裏腹な両舌・綺語は生きていくうえで必要とされます。


つまり、おおよその行いが「悪」であるのが人であるというのです。


仏教は自分を罪人と認め、 反省するところから始まります。


「病みて後、病まざることの幸せを、併せて知りぬ病も知識と」

悪と思っていた病も時に自分に教えをくれる善知識となります。


反省する心にこそ明るい日々があるのではないでしょうか。


まずは自らを見つめ、今年一年の反省と共に、

来年への目標を定めて行きましょう。


みなさん善いお年をお過ごしください。



南無阿弥陀仏

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