先日、 無事に璽書(じしょ)道場を成満してまいりました。
璽書道場とは、 加行(お坊さんになる修行で、成満すると僧侶資格を浄土宗よりいただける)道場を過ぎて5年以上たった者、 もしくは早々に住職になったものが受講できる修行道場で、 京都総本山知恩院か芝大本山増上寺で開催されます。
コロナにより2年ぶりの開催となり、 私も知恩院にて入行いたしました。
外界との連絡手段は没収され、時計もない、 テレビもない、精進料理のみという環境で、 仏教のみ教えを一心にいただき、様々な儀式を行います。
日々の修行で体は悲鳴を上げ、 声は枯れていきます。
ちょうど季節の変わり目か、 三日目には京都の寒さも本番になってまいりました。
暖房もない中、 唯一の飲み物である熱々のお茶だけが手を温めてくれます。
と、過酷なように見えて(それなりに過酷ではありますが…)、 それ以上にありがたいものだと思っております。
様々なしがらみと誘惑の中で揺れ動き、 翻弄される毎日。
俗世ではただ一心に一つのことに集中できる時間などありません。
それを強制的にシャットダウンすることで法然上人が 伝えられた800余年の宗脈に集中することができます。
本当にありがたいことであります。
璽書道場では主に「戒」を頂きます。
仏教では悟りに向かう修業を三学(戒・定・慧)といいます。
仏教の道徳でもある「戒め」を保ち、 心を清らかにすることで、 心を安定(禅定)させ、 正しい目を備えることで、 本当の物事の在り方(智慧)を理解し、 覚りに導かれるとされます。
その始まりでもある「戒」は世界中の仏教の基礎であり、 共通的な心掛けであります。
仏教とは豊かに生きるための教えですから、 「戒」はこの世を愉しく生きるための徳目となります。
我々が授かる円鈍戒(えんどんかい)(三聚浄戒、十重禁戒、四十八軽戒) にはたくさんの戒めが説かれますが、 つまるところ、 「悪いことをしないようにしましょう。善いことを進んで行いましょう。たくさんの人を救いましょう。」を中心に構成されています。
この言葉にも様々な解釈があるとは思いますが、 仏教は善因善果、悪因悪果であります。
善い行いの先にしか幸せは訪れません。
現世での幸せのための「戒」、 次の世の往生(幸せ)のための「念佛」。
日々に修してまいりましょう。 南無阿弥陀仏
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