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執筆者の写真副住職

12月のネット法話「璽書修行道場を経て」

更新日:2022年8月12日



先日、 無事に璽書(じしょ)道場を成満してまいりました。


璽書道場とは、 加行(お坊さんになる修行で、成満すると僧侶資格を浄土宗よりいただける)道場を過ぎて5年以上たった者、 もしくは早々に住職になったものが受講できる修行道場で、 京都総本山知恩院か芝大本山増上寺で開催されます。


コロナにより2年ぶりの開催となり、 私も知恩院にて入行いたしました。


外界との連絡手段は没収され、時計もない、 テレビもない、精進料理のみという環境で、 仏教のみ教えを一心にいただき、様々な儀式を行います。


日々の修行で体は悲鳴を上げ、 声は枯れていきます。


ちょうど季節の変わり目か、 三日目には京都の寒さも本番になってまいりました。


暖房もない中、 唯一の飲み物である熱々のお茶だけが手を温めてくれます。


と、過酷なように見えて(それなりに過酷ではありますが…)、 それ以上にありがたいものだと思っております。


様々なしがらみと誘惑の中で揺れ動き、 翻弄される毎日。


俗世ではただ一心に一つのことに集中できる時間などありません。


それを強制的にシャットダウンすることで法然上人が 伝えられた800余年の宗脈に集中することができます。


本当にありがたいことであります。


璽書道場では主に「戒」を頂きます。


仏教では悟りに向かう修業を三学(戒・定・慧)といいます。


仏教の道徳でもある「戒め」を保ち、 心を清らかにすることで、 心を安定(禅定)させ、 正しい目を備えることで、 本当の物事の在り方(智慧)を理解し、 覚りに導かれるとされます。


その始まりでもある「戒」は世界中の仏教の基礎であり、 共通的な心掛けであります。


仏教とは豊かに生きるための教えですから、 「戒」はこの世を愉しく生きるための徳目となります。


我々が授かる円鈍戒(えんどんかい)聚浄戒、十重禁戒、四十八軽戒 にはたくさんの戒めが説かれますが、 つまるところ、 「悪いことをしないようにしましょう。善いことを進んで行いましょう。たくさんの人を救いましょう。」を中心に構成されています。


この言葉にも様々な解釈があるとは思いますが、 仏教は善因善果、悪因悪果であります。


善い行いの先にしか幸せは訪れません。


現世での幸せのための「戒」、 次の世の往生(幸せ)のための「念佛」。


日々に修してまいりましょう。 南無阿弥陀仏

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