秋のお彼岸が終わり、 十夜法要の時期がやってまいります。
浄土宗十夜法要発祥の大本山光明寺も昨年に引き続き簡略化が決定しました。
多くの近隣僧侶の随喜で行われる十夜法要が待ち遠しいところですが、 まだまだコロナ禍の波は収まりそうにありません。
「もう少しの辛抱」聞き飽きた言葉ではありますが、 あまり執着せずに日々を過ごし、 ストレスを感じずに生きたいものです。
さて、今年の彼岸会では、 改めてお彼岸の意味と念佛の功徳についてお話いたしました。
日本独自の仏教行事であるお彼岸は、 まさに日本の四季によって生まれた行事です。
春分の日と秋分の日は、 昼と夜の長さが同じになるといわれ、 お釈迦様のみ教えで説かれる偏らない「中道」を示しているようであり、 また、先人の皆様は、 真東からのぼり真西に沈む夕日の先に阿弥陀仏の西方極楽浄土(=彼岸) を望み念佛を称えたのであります。
阿弥陀仏は 「この生の後、我が建国した極楽浄土に往きたいと望むのであれば、わが名を呼べ」 と南無阿弥陀仏の念佛のみ教えをお授けくださいました。
つまり、生まれ変わり死に変わりを説く仏教で、 来世では極楽に生まれたいと望むから念佛を称えるのです。
逆に説くと、極楽に往きたいと望まないのであれば 念佛を称える必要はございません。
我々は明日を望み今日を生きます。
当たり前のように明日が来ると信じ、 床に就きます。
そして、 その繰り返しの先に死があります。
その死の先には寝て起きた明日と同じように、 来世が来ると説かれるのです。
明日も善い人生を歩みたい、 笑顔の中で暮らしたい、 そう思うから今日の行いが大切なのです。
昨日までの営みが今日を創ります。
今日をどのように生きるかで来世が決まっていきます。
この先に来世があると信じれば、 生の尽きるまでいくつになっても善行の日々です。
人生百歳時代。
ご先祖さまにも感謝し、 関わる皆様にも感謝し、 望まずとも感謝される人生を歩みたいものですね。
念佛の日々には豊かな心で過ごすことのできる毎日があると思うのです。
南無阿弥陀仏
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