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執筆者の写真副住職

10月のネット法話「十夜法要から始める善行」



浄土宗の十夜法要はお隣の正行院の開山祐崇上人に由来します。


鎌倉の大本山光明寺の第9世観誉祐崇上人が後土御門天皇に招かれ、 宮中で『阿弥陀経』について講義をし、 真如堂の僧と共に節をつけて称える引声念仏を修しました。


天皇はこれに大変感激されて1495年の10月、 大本山光明寺での「十夜法要」奉修に許可が下されたのです。


これが浄土宗における十夜法要の始まりです。


そしてその立地からも光明寺十夜法要を支えてきたのは 三浦・逗子・葉山・横須賀・鎌倉の三浦半島の僧侶でありました。


それからこの地でのみ脈々と継承され、 十夜法要が行われています。


この法要は『無量寿経』の一節にある教えを実践したものです。


そこには、 「娑婆世界で十日十夜の間、善行を修めることは、 仏の世界で千年にわたって善行に励むよりもすぐれている」 と説かれています。


この世での善行が仏の世界での善行よりも優れているのは、 無量寿経に説かれるところ、 「日々苦悩し生きることだけでも大変なこの世界で、 あえて善行を営むことは非常に尊いことである」ということです。


日々の暮らしの中で我々は多くの選択を行いますが、 自分の事だけで精一杯な中で行う選択には多くの過ちが伴います。


自分が良ければいい。 自分だけ良ければいい。 煩わしいことには見て見ぬふりをして、 面倒の無いことが望ましい。


苦悩多き娑婆世界では自分を守るためにも過剰な防衛本能が働いてしまうのです。


そういったことで保たれる一時の安寧は、 結果として善い縁から離れることにもつながります。


我々の日々は縁により引き起こされますが、 縁は衣食住や仕事、学校、恋愛、友人、趣味など日々のすべてのことに影響します。


悪縁を積み重ねれば悪い結果を生み、 善い縁を紡げば善い結果が生まれます。


悪因悪果善因善果です。


ですから「善行」を行うことはとても難しいこととされますが、 ご自身のためにも行うべきことなのです。


そして、この世には様々な善行がありますが、 その中でも明日(来世)を豊かにし、 今日を豊かにするのがお念仏の修行です。


自らの至らなさを知り、 たくさんのご縁のもとに自分がいることに気づくとお念仏は声になります。


日頃、意識をしていても善行からは離れてしまうものです。

それくらいに我々は悪の意思を宿しています。

自制しなければ善を保つこともできません。


それほどに娑婆世界とは苦悩多き世の中であります。


この機に再度、 自らを省みて正しく生きる道を考えてみてはいかがでしょうか。 南無阿弥陀仏

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