9月のネット法話「ひとに正義は説けない」


インターネットの普及で家にいながら買い物ができたり、遠方の映像が見れたりとできることが増え、このコロナ禍においてもインターネット環境があれば生活には困らないほどになっています。

コミュニケーションということにおいてもSNSやyoutube、オンライン会議ツールなどを使えば、リアルよりも多くの頻度でたくさんの方に接することができるし、それほどまで親密でなくても情報交換できる環境が整えられています。


便利であることはありがたいことですし、その恩恵を存分に頂くわけですが、

時として、「対面の必要がない」コミュニケーションは人の嫌な部分を引き出すという副作

用があることを忘れてはいけません。


昔から日本人はつつましくあることや人の悪口を言わないことを美徳としてきました。


「他の人のことはいいの!あなたはきちんとしなさい!」

「告げ口なんてしてはいけません!」


何度言われたことでしょう。


皆さんにも経験があるのではないでしょうか。


しかし、「匿名」で「顔が見えない」状態で自分の意見を発信できるオンラインコミュニティは、どんなことを発言してもリアルな自分とは紐づかないという安心感からか、心の闇の部分ともいえる、人には見せるべきではないような醜い心をいとも簡単に現わすことに成功してしまいました。


それに加え日本人の同調志向はインターネットを介して、まさに言葉の刃としてターゲットとなる人に突き刺さります。


リアルでは言葉にしようとすると、口から出るまでに様々なことを考えます。


「これを言ったらどう思われるだろう」

「どんな背景でこうなったのだろう」


しかし、オンラインでは、跳ね返るリスクの少なさ、発言することの簡単さから、

特に罪悪感も無く、起こり得る言葉の責任も考えずに発信されています。


言葉に乗る思いや考えは浅いのに、言われた側は、対面して直接言われたのと同じくらいの心の痛みを感じます。


さらに痛みを感じるのが一方だけという現状です。


オンラインはコミュニケーションの在り方を変えてしまいました。



お釈迦様は物事を正しく見るべきであると説かれました。


物事には一方の目から見ただけでは全貌が見えない、様々な「面」があります。


我々は習慣や家柄や性別、思想や目的や優先順位を反映し、自らの正義をつらぬこうとしますが、我々には感情や経験という物事の真実に対して盲目になり得る要素が多く、その実態を正確に把握することはできません。


何が正義で何が悪であるのか。


そんな我々は正しく判断することができることがあるのでしょうか。


戦争を見れば一目瞭然です。

どちらも正しいと思っている。

だれかを守るための正義があると思っている。


しかし一方から見れば相手は「悪」です。


立場によって変わる正義は我々には正当に判断することができません。


その様に考えると、無理やりに自分の考えを押し付けることはできないと思いいたります。


大切なのは自分がどうするか、どうしたのかです。


どうか本意でも不本意でも、罪を重ねぬよう努力していきたいものです。


南無阿弥陀仏




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#人を傷つけないように心掛ける #一人でも多くの人が笑顔になれるように



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