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執筆者の写真副住職

8月のネット法話「お墓参りのこころ」


気付けば一年の折り返し地点ををとうに過ぎ、今年もお盆がやってまいります。


この時期になりますと、お寺で普段見ないような方がお参りに来られます。

檀信徒のお子さんやお孫さん、はたまた遠いご親戚でしょうか。


宗教離れなどと言われる時代ではありますが、

どれだけ日本人が先祖を大切にしているかが見て取れてうれしく思います。


元々、日本人は自然全てのもの(草木や花、土、川、海、災害ともなる風や雨や波、はたまた、生けとし生けるもの)に命が宿る(神がいる)と信じてきました。


これは「神道」という「宗教」ではなく、日本人の根底にある信仰です。


仏教が日本に伝来すると、

その根っこの考え方を残したまま「仏」を信じるようになり、

仏も神も一緒だと考えるようになりました。


実際のところ、私たちの心にはいまだにどちらも似たようなものであるという感覚が残っているのではないでしょうか。


これは日本独自の信仰です。


根底にあるがゆえに、あえて「宗教」というものを意識することがないため、

日本人には他国で言われる「宗教観を持っているという自覚」がありません。


しかし、

お墓参りを含めた先祖供養を大切にする日本人の姿を見れば、

「信じる心(=信仰)」があることは明確です。


「会いに行ったら喜ぶだろうなぁ」


「たまには顔を出さないとなぁ」


まるでまだ生きているかのように思いを傾け、


「ひさしぶり」


「また会いに来たよ」


そんな言葉をかけながら真剣に手を合わせて目をつむりお墓の前にたたずむ。


その目にはきっと先立たれた愛する人が映っているだろうし、

残された人の心の中ではまだ愛する人は生きているのです。


仏教では三世を説きます。

この命より前の「前世」、今の命の「現世」、命尽きた後の「来世」です。


南無阿弥陀仏の念仏で、

この命の次は阿弥陀仏の導きの元、

極楽浄土へ向かわせていただくことができます。


そこにはきっと、先立たれた愛する方々があなたを待っていることでしょう。


そう考えますと、

今だからできることをしっかりと行っていきたいものです。


つながりなくして私たちは自分を保つことができません。

つながりがあって初めて自分となるのです。


南無阿弥陀仏


#お墓参り

#お盆

#自分と向き合う

#独りぼっちなんてない

#必ず誰かは見守っている



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