「皆さんは本当の自分を知っていますか?」 先に読み進める前に少し考えてみてください。
果たして自分は何をもって本当の自分とするのでしょうか?
仏教では、我という存在を考えるとき、まず無我(むが)を説きます。
無我とは我が無いと書きますが、
その意味は「われは自分のものではない」という考え方のことです。
仏教では「自分で自由にコントロールできないものは自分のものではない」と説かれます。
自分で自分をコントロールすることができるのであれば、
老いをコントロールして若くい続けることもできますし、
病も自分の意志でコントロールできます。
寿命、運動能力、学習能力、容姿、性格、癖、
いずれも外的要素なしに自分で思いのままにコントロールすることはできません。
つまり自分でコントロールできない自分は自分のものではないと説かれます。
さらに、自分とは自分が認識した自分と他人が認識した自分がいます。
どちらも自分ですが、それには異なる認識があるでしょう。
さらに、経験や人間関係、年齢、様々な条件で思考も変わります。
それに伴い、言っていることも変わることでしょう。
ではどこに本当の自分がいるのか?
それは…
結局のところどれも本当の自分ではないでしょうか?
時に勇敢に、時に臆病に、時に慈しみ、時にさげすみ、
時に嘆き、時にうそをつき、時に傷つき。
人といるときの自分、一人だけの時の自分。
どれも本当の自分と理解することで、
自分探しの旅は終わるかもしれません。
しかし、
「え?今の自分が本当の自分?そんなはずない!」
これは本当の自分ではないと否定したくなる気持ちもあります。
それは、こうありたいという思い「志」であり、自分を作る基礎になります。
今生でも来世でも、 どういう自分でありたいかが大切ではないでしょうか。
そういう意味では人はいつからでも変われます。
もろもろの悪をなすことなく、もろもろの善を行い奉り、自らの心を浄くあれと努める。
そこに本当の自分を見出すことが愉しく生きる道だと仏教は説きます。
世情様々なことがございますが、
自らの希望と芯を要にこれからも精進いたしましょう。
南無阿弥陀仏