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執筆者の写真副住職

2月のネット法話「戦わないこと」



世界の報道を見ていると奪い合い、 競い合いの戦いが世界中に溢れているように思います。


戦争は物や考え方を奪い合い、 政治は優位性や権力を奪い合い、 経済はお金を奪い合い、 外交は物や人や立場を奪い合う。


文明が起こってからの人の歴史には争いはつきものでした。


我々人は自分一人では生きていけません。

赤ん坊として生まれ、 たくさんの近しい人に支えられ、 いずれ自立し、 人を支え、 最後にはまた支えられて死んでいきます。


電気を作る人がいたり、 食事を供給する人がいたり、 衣服を作る人がいます。


顔は見えなくても、 それぞれが役割を分担する形で支え、 支えられ生きています。


その事実はゆるぎないのに、 なぜ戦いが起こってしまうのでしょうか。


そこには、 「自分」が強くなりすぎていることが関係していると思います。


人は地球に間借りをしている一生物である。 私は社会に支えられている一人間である。 私がいるということはみんながいるということ。


皆が、自分に固執しすぎない考え方を持つことができたら「戦う」社会は少なくなるのではないでしょうか。


最近よく「コロナとの闘い」という表現が用いられます。 コロナと戦って何を得るのでしょうか。

すべての物事には原因と縁と結果があるとお釈迦さまは説かれました。


何事も今起こり得ている事象には原因があるのです。

それは誰かだけが引き起こしたものではなく、社会という大きなかかわりが引き起こしたものとなります。


原因から考えなくてはなりません。


かかわりを豊かにするには、 私たちそれぞれが豊かな心と正しい智慧をもつことが大切です。


自分もみんなも、同じように大切にできる心は自分への過度な執着から離れる方法です。


戦わない心は「大切にする心」が養ってくれるでしょう。

とはいえ、緊急事態宣言で引きこもりの毎日には心も疲弊していることと思います。


善行の基本は人に迷惑をかけないこと・人に喜ばれることです。


境内は開かれています。


お参りで心を癒してください。


南無阿弥陀仏

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