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執筆者の写真副住職

1月のネット法話「恭賀新年」



皆さま、新年あけましておめでとうございます。


本年もよろしくお願いいたします。


浄楽寺でも元旦の修正会を無事厳修し新年が始まりました。


同日、初めて行ったお書初めでは、 お参り下さったたくさんの方にご参加いただき、

書院が墨の香りに包まれました。


本来のお書初めとはイメージが異なるかもしれませんが、 今年の目標や自分を表す漢字など、 参加された方それぞれに自身で書く文字を決めていただき 各自浄書していただくことにしました。


ご先祖さまや仏さまを身近に感じることのできるお寺で 一年の目標を考え書き記すことで、 心穏やかな新年の始まりをお過ごしいただけたのなら幸いでございます。


さて、今年の干支は癸卯(みずのとう)年をお迎えしました。


ご存じの通り干支とは十干と十二支からなります。


十干の「癸」は温かい大地を潤す恵みの水を表し、 十干の最後にあたる癸は、生命の終わりと新たな生命の始まりを意味しています。


そして十二支の「卯」はうさぎの穏やかさから連想する安寧の意味を持ち、 また、飛び跳ねるうさぎから向上や好転する年になると言われています。


干支で考える本年は、 「一つの時代が終わり新しい時代が始まる飛躍の年」という意味を持つようです。


コロナ四年に入りますが、 一刻も早く疫病の脅威の無い新しい時代が来ることを望むばかりです。


終わりがあれば始まりがあるものですが、 仏教では「無始」といい、始まりを説いていません。


仏教では生も死もつながっているものと考え、 その連続性を説いています。


つまり輪廻です。


浄土宗三祖良忠上人の言葉に「念死念仏」というものがあります。


「念死」とは「決して逃れることができない自身の死を常に念じて、 息を吐いた後に当然のように息を吸えることを充てにしないこと」 と説かれ、 「念仏」とは「『阿弥陀仏がわが名を称えよ、そうすれば極楽に導こう』という誓願を信じ、口に南無阿弥陀仏と称え相続すること」と説かれます。


つまり、「『人』には終わりがあるが、その『生』は続くものである。 次に極楽世界に連続するために念仏に救いを求めるべきである」 ととらえることができます。


そのように教えをいただく中で、 道を外れず、たくさんの人を救い導いた良忠上人の姿があったのです。


人として、今年を誰もが無事に終えることはできません。


無常の風吹けば、極楽への縁は花開きます。


新年の目標を胸に、 口には念仏を称え一年を歩んでまいりましょう。


南無阿弥陀仏

 

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