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浄土宗開宗850年を迎えて「法然上人一代記」①「法然上人の出生」

執筆者の写真: 副住職副住職



2024年、法然上人が43歳で浄土宗を開宗されてから850年の月日が経とうとしています。


現在、全国では浄土宗開宗850年を記念して様々な事業が行われています。


昨年、浄楽寺におきましても、 増上寺布教師会の神奈川メンバーにて、 記念対談・記念念仏などが行われました。


800年以上もお念仏が縁としてつながり、 現代のわれわれの元にも教えとして伝わっているとは、本当に有難いことです。


法然上人がお念仏のみ教えに導いて下さらなければ、 来世での極楽往生は叶わず、輪廻を繰り返すばかりでした。


この850年のありがたさを皆さんにも感じていただくために、 法然上人の一代記を連載でお送りしたいと思います。



「法然上人の出生」

法然上人、出家前の名前を勢至丸(せいしまる)といいます。


1133年、美作国久米南条稲岡荘(現・岡山県久米郡久米南町) の有力豪族の家に生まれました。


父は漆間時国(うるまときくに)、 母は秦氏(はたうじ)という名家の出身の人でした。


父の仕事は「押領使(おうりょうし)」という今の地方警察署長のような仕事をしていました。


夫婦は長い間子宝に恵まれず、 揃って岩間観音に通い子宝祈願をしたところ、 母がカミソリを呑む夢を見て身ごもったと伝えられます。


カミソリは出家者の頭を剃る道具なので、 それを吞み込んだという夢の話を聞いた父は 「生まれてくる子は男子で、人に戒を授ける僧侶になるだろう」 と予言したそうです。


信仰の厚い夫婦は勢至菩薩のように 広い知恵のある子に育ってほしいという名前を込めて「勢至丸」と名付けたそうです。


お父さんとお母さんの愛に包まれて、 聡明でやさしい少年に育ちました。


法然上人が生まれた時国の屋敷跡と伝えられる場所は、 現在誕生寺というお寺になっています。


#法然上人 #浄土宗開宗850年

#法然上人一代記

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